「わあーーーぁぁぁ……助けてーーー落ちるーー……っ！！」
遙か高い崖の上からドップラー効果をたっぷりまぶして甲高く声が降ってきた、かと思うと。
泥まみれになった御桜ひよりと石川一磨の二人が、大量の泥や死体、骨の軍団と一緒に降ってきた。
雪崩を打って泥が流れ下り、飛び散る。すさまじい飛沫が上がる。
制服姿の鬼と、獄文字乙女もまた、土石流の滝に吹き飛ばされた。あまりの流れの激しさに、身体に巻き付いていた触手は一瞬で剥がれ落ちてゆく。
「ひより！」
「あ、先生！」
あれだけの高さから落下していながら、御桜ひよりは、その左手に光月をしっかりと握りしめていた。
ひよりは獄文字乙女を認めると、驚きの声をあげて飛び起きた。泥をはねとばして駆け寄ってくる。
「獄文字先生、ご無事でしたか！？」
「一磨はどこだ」
どうやら落ちたショックで気を失ったらしい、うつぶせの一磨が、ぷかあ、と泥の沼に浮かび上がる。
「……あそこです」
制服のズボンがぬげて、可哀想なおしりがまるだしになっている。
だが、失神してなおその手にはしっかりと、大切なカメラが握りしめられていた。おそるべきおっぱいへの執念である。
獄文字乙女は、泥を踏み越えて一磨へと歩み寄り、強引にブレザーの制服とワイシャツを剥ぎ取った。
まずはとにかくワイシャツの腕で胸を縛り、結び目を背中側へと回して留める。その上からブレザーを羽織り、しかるのちカメラを取り上げた。
スイッチを入れる。さすが防水仕様。一発で電源が入る。
「激写」
獄文字乙女は、ぱんついっちょでぷかぷかと浮いている一磨の痴態を平然とカメラに収めた。
にやりと笑って、ぽい、とカメラをひよりへと投げよこす。
ひよりは、ああ、と天を仰いで眼を覆った。
「鬼です、先生……いくらなんでもそれは」
「非常事態だ。それとも俺に全裸で戦えとでも言うのか？」
獄文字乙女は、ふっと手を伸ばしてひよりのあごをつまむ。ひよりはたちまち、あたふたと眼を泳がせた。かあ、とほっぺたを赤くする。
獄文字乙女は、余裕たっぷりに微笑んだ。
「なるほど、それも吝かではないな。お前になら、すべてを見られても良いぞ」
指先で、ちょい、と顔を上向かせてやると。
「ひゃあんっ！」
ひよりはウブな顔を真っ赤にし、ぎゅっと目をつむってじたばたと顔をそらした。
「めっ……滅相もないです……」
「ならば黙っていろ」
獄文字乙女は赤い唇を吊り上げた。
「一磨を早く起こせ。奴がいる」
「えっ」
ひよりは一磨の傍らに屈み込みながら声をうわずらせる。
「まさか」
「不要な声を立てるな。異形は土の中にも潜んでいる。気配を探れ」
「は、はい、一磨くん、起きてください」
一磨がようやく眼を覚ます。
「うむ？ ここはどこだ？」
「一磨くん、大丈夫ですか？」
「大丈夫だ。……が、わーー！ 何でぱんついっちょーー！！」
ばしゃばしゃと泥をはねとばして一磨は顔を赤らめた。
「おっ、お前か、ひより！？」
「何で僕がっ！？」
「お前以外に誰がいる！」
いきなり胸ぐらを掴まれて揺さぶられる。
「ぐえっ苦しいっ……誤解ですったら……」
「俺を脱がして何をしようとした！ お前そっち方面か！？ さてはそっちなんだな！？」
「何ですかそっち方面ってーーッ！」
「いくら好きでもダメだぞ俺は！ 乙女ちゃんとえへへでむふふではぁはぁな将来を思い描くたびに前を押さえてくねくねもじもじしちゃう健全な男子なんだからな！ ああっ想像しただけで……っつーか、まさかマジで脱がしたりしてねえだろうな！ 触ったりこねたりアハァンしたりしてねーだろーなッ！？」
「ぎゃあああ気持ち悪い当たってます当たって……！」
「何が」
「……僕の口からは到底言えないおぞましいものが……」
二人して、目線を下へと移動させる。
……。
…………。
「ぎゃーーーッ！」
「ぎゃーーーッ？」
「何で俺すでにこんなになってんだーー！」
「だってさっき自分で」
「早くそれをパンツにしまえ。横から見えてるぞ」
「ぎゃーーー乙女ちゃんに見られーーーっ！？」
「……そう興奮するな」
「そんなこと言われましてもハアハアハアこの状態で落ち着けるわけがハアハアハアハアハアっ……うっ、ずっぎゅん……っ！」
「静かにしろと言った」
獄文字乙女はゴン、ゴン、ぐりっ、と雁首並べた頭をそれぞれ拳骨で殴った。
「ぎゃっ！」
「ううううううう！」
一磨は悶絶している。
ひよりは涙目で頭を抱えた。
「何で僕まで！」
「聞こえる。静かにしろ」
「えっ……？」
一磨のブレザーをかろうじて羽織っただけの獄文字乙女。
震える手に光月の鞘をしっかりと握りしめた御桜ひより。
全身泥まみれのぱんついっちょ姿で、股間を押さえ痙攣中の石川一磨。
まさに、三者三様。それぞれに鬼気迫る気迫をまとい、四方の邪気をうかがいながら、背中合わせになって身構えている。
どこから月影がさしているのか、足元に濃い影がくろぐろとわだかまっている。
影の中のもう一人が笑っていた。
血を、喰らえ。
ひよりは頭を振った。鬼の誘いを頭の中から追い出す。
ちりん
ち り ん
り ん りん…… りん、りん、ちりん、りりりん、
鈴の音が、四方八方から覆い被さるように迫ってくる。
歯を軋らせ、泡混じりの薄汚い息を吐き漏らす異形どものうめき声もまた高まっている。
右。
左。
それとも足下。
頭上。
いったい、どこに、潜んでいるのか。
どこから、聞こえているのか……！
「姫乃ちゃんは……ここにいるんでしょうか」
不安を押し殺そうとして、だれにともなく心細くつぶやく。
「ああ。いる。俺には分かる」
獄文字乙女は、確信に満ちた笑みをひよりへと向けた。
「絶対に、お前が、助けに来てくれると信じて――動かずに、待っているはずだ」
（そうはさせるかイィイギギイ……ァー！）
かすれきった高周波の絶叫をあげながら、制服姿の鬼が頭上から飛びかかってきた。ぞろりと爪の生えた何本もの節足をのたうたせて空を引き裂く。
「散れっ」
獄文字乙女がするどい声を発した。
一磨が瞬時に飛んで姿を消す。
そのへんで拾ったらしい木ぎれを刀代わりに逆手に持って、地面から続々と伸び上がってくる触手や骨の手に突き立て、なぎ払い、時に回し蹴りを食らわせて吹っ飛ばしながら片づけている。
「雑魚どもは俺に任せろ」
ぱんついっちょで一磨は怒鳴った。
「ひよりはそいつを倒すんだ。乙女ちゃんを守れ！」
「一磨くん……！」
制服姿の鬼が、一磨とひよりの間に着地し、けたたましく笑って足を振り回した。泥が竜巻状に巻き上げられる。
「うわっ……！」
降ってきた泥がそのまま形を変え、異形へと変化して、襲いかかってくる。
「走れ、ひより！」
獄文字乙女が怒鳴った。
「お前はとにかく姫乃を探して走れ！」
「は、はいっ……！」
闇の彼方へと伸びる、一直線の赤い光。
いまや、その光は紛れもなく存在感を増し、輝きを増して、きらめく光の在処を指し示している。
ひよりは、光を目指して走った。
背後に迫る外道の鬼が、右に、左に、攻撃を繰り出す。炸裂する。そのたびに、獄文字乙女が手にした護身刀で討ち払い、ときにしのぎを削りあってつばぜり合いしながら、食い止める。
ひよりは走った。
とにかく走る。
走らなければ、絶対にたどり着けない。
前へ、進まなければ。
誰の思いもかなえられない。
「走れ！」
一磨の声を背に。
「進め！」
獄文字乙女の叫び声を追い風に。
ひよりは、光月を手に、息を切らしながら走った。
目の前に、突然、丸く光るかがやきが浮かんだ。とろりと揺れる、金色に満たされた水。その、中に。
きよらかに、まっしろで。
うまれたままの姿で、膝を抱え。
ゆらめく髪に包まれ、赤ん坊のように眼を閉じ、眠る少女。
無垢なる――少女の姿が。
「姫乃ちゃん……！」
見えた……！
（ギィィシィアアアアアーーーー……！！）
怨念そのもののような、くろぐろとした霧を顔から噴出させながら、外道の鬼が飛びかかってくるのが見えた。
闇をあかあかと憤怒の吐息で焦がしつつ、爪で引き裂く。
「うわあっ……！」
かろうじて避ける。ひよりはつんのめってぶっ倒れた。
蜘蛛のように折れ曲がった手足で地面を蹴り、波打つようにうごめかせながら、制服を着た鬼が飛び跳ねた。近づいてくる。
迫ってくる。
顔からはみ出した手足が、地面をかきむしっていた。
（渡さない）
（返さない）
（一番になるのは 私）
（こいつがいたら 一番に なれない！）
何重にもずらりと並んだ牙が、毒々しい泡を吹き飛ばして軋った。
ひよりは愕然と息を凍りつかせた。
逃げなければ、とは思うものの、身体が動かない。
「ひより！」
獄文字乙女の姿が、闇に吸い込まれた。影と一体化してゆく。墨で描かれた戯画のような人影だけが大地を伝い這い、長々と伸びて、外道の鬼へと突っ走ってゆくのが見えた。
「先生！」
ひよりはよろめく身体を無理矢理に引きずり起こした。逆手に持った光月をざくりと地面に突き立て、杖がわりに身体を支える。
息をするたび、焼砂を吸い込んだかのように喉が痛んだ。
軋る絶叫が眼前に迫ってくる。
身体が、すくむ。
殺される。
死ぬ――！
その瞬間、押し迫る外道の影と、凄まじい鍔迫り合いの軋りが飛び散った。
「……！」
思わず、眼を閉じる。
「いいから走れ！ この場は俺たちに任せろって言っただろうがよッ！」
顔を上げる。目の前に、獄文字乙女と、ぱんついっちょの泥人間が、並んで立ちふさがっていた。
「……ちぃっ！」
鬼の突撃をかろうじて押しとどめた鉄パイプを手に、どろんこぱんつと化した一磨が苦悶の呻きを上げる。
漆黒の火花が、熔けた色ガラスのように焦熱の煙を上げて降りしきった。
踏ん張った足が轍のような跡を残して深々と地面に食い込む。
押し戻されている。
「……ちくしょう、何てえ力だ、押し返せねェッ！」
「まだまだだ……一磨、耐えろ！」
（ギィィイ邪魔シグギィェェするヌアアアア……ッ！！）
護身刀を振りかざす獄文字乙女に対して、半狂乱に髪を振り乱した外道の鬼は、手足をかきむしる速度を速める。噴き出される黒い霧が、どろどろとおぞましい黒い炎となってうねり吹き出した。
「先生！ 一磨くん！」
漆黒の煙が、燃えさかる異形の火となって降りかかってくる。
耳を聾する絶叫と悪臭が五感を覆い尽くした。
毒の霧と轟音に、呑み込まれる。
「しまっ……！」
支えきれない。限界だった。
一気に圧力を増す外道の鬼の力に、獄文字乙女と一磨の身体が呑み込まれ、吹き飛ばされ――
悲鳴が、途切れる。
時間が、止まる。
命が、消え――
>次のページ
<前のページ
もくじTOP
【ネット小説ランキング＞現代ＦＴコミカルに投票】
▲おもしろかったら押してください！作者の励みになります。