めるきゅー　悪魔メルメルのきゅーとでえっちな世界征服！　３

　さてそのころ八坂翔太は不条理の発生源と思われる魔女メルメルを公園に釘付けし放置することに成功し、遅刻チェック寸前にピロティへと滑り込んでいた。
　予鈴のベルが鳴っている。
「はあっ、何とか間に合った……！」
　息を切らし、靴箱に手を掛けて呼吸を整える。
「あと二分で遅刻だぞ！」
　生徒指導の教師が時計を見ながら声を上げている。
「遅刻五回で厳重注意だからな！」
「あ、翔太くん、おはよ」
　声を掛けてきたのは同じクラスの伊月だった。どうやら翔太と同じく遅刻寸前だったらしい。
　健康的にすらりと伸びた白い足が、短いプリーツスカートから元気よく覗いていた。
　胸元で結んだ赤いリボンが、きゅっと大きく揺れている。
「はいはい」
　翔太は上履きに履き替え、生徒でごった返す階段を駆け上がった。
「なにその言いぐさ。変なモノ見るような目をして。それとも何かあたしの髪についてる？」
「この学校、生徒指導厳しいくせに、何かおかしいよな」
　翔太は苦笑いしながら三階まで上がった。
「何で？」
「男が女子の制服着てもいいってどういうことだよ」
「えへへ」
　伊月はいたずらっぽく笑った。指で毛先をくりんと巻いて、ちろりと舌を出す。
「それって、俺のこと？」
「俺って言うな！　いや……言った方がいいのか……どっちだ！？」
「だって翔太が不条理連鎖症候群absurd-linked syndrome　略してＡｌＳだから」
「俺のせいにすんなって」
　渡り廊下を早足で抜け、クラスメイトたちがたむろする教室へと飛び込む。
　本鈴のベルが鳴り始めた。

　何事もなく半日が過ぎる。
　昼休みになると、翔太は伊月と連れだって購買部へと向かった。毎度のごとく焼きそばパンとコーヒー牛乳、それからガムを買おうとして。
「あっ……」
　翔太は、ふと、今朝の出来事を思い出した。
　ぶるぶる頭を振る。伊月がのぞき込んだ。
「どうかしたの？」
「あ、いや、別に」
　翔太は苦笑いした。今朝会った自称悪魔の少女のことが脳裏に貼り付いて離れない。
「何でもない」
　買い物をすませ、ぶらぶらと校庭へ出る。木の下の適当なベンチを選んで座り、焼きそばパンにかぶりつく。
「……」
　わくわくとガムにつられて目を輝かせていた少女のことを思い出す。
　あのあと、どうなっただろう……？
　翔太は味のしない焼きそばパンを噛んだ。どんなに噛みしめても、味が変わらない。悪魔のことなど、いちいち気にしてやる筋合いなどないはずなのに。
「マジで変な顔してるぞ？　どうした？」
　伊月は、まじまじと翔太を見つめた。顔を近づけてくる。
　どこから見ても、美少女だ。男のくせに、女子がきゃーきゃー騒ぐほどの美肌すべすべだし、唇はさくらんぼのような色をしている。制服の下がどうなっているのか分からないが、もしかしたら下着も女性用を使っているのかも知れない。
　と、思わず本当に男なのか？　と疑ってしまいたくなるほどの可憐な外見なのだが、中身は普通に男なのだからややこしい。
　だが、誰もそれが”おかしい”だなどと思いはしない。翔太のそばにいれば、少々不条理なことが起きていても別段不思議ではないからだ。
「うん」
　翔太は上の空で答える。
「何でもねえよ」
「……何でもねえ顔なの、それ？」
「うん」
「じゃあ、俺が食っちゃっても怒らねえ？」
「うん？」
「ウンって言った？」
「うん」
「じゃあ翔ちゃんの唇いただき」
「……うん？」
　ベンチに押し倒され、のしかかられる。
　ぶっちゅぅぅぅぅ。
「あっ……ううん……！」
　れろれろ。
「はふ……ん……っ……！」
　ぶっちゅぅぅぅぅぅぅ。
「って、いきなり何しやがんだてめーーーーッ！！」
　翔太は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「舌入れただろ舌ッ……！　うえええええ！」
「あはん♪　ごちそうさまでした」
　伊月はぺろりとくちびるを舐め、嬉しげに笑った。
「おいしくいただきました」
「てめーーーぶっ○ス！！！」
「いやあん、怒らないって言ったじゃん？」
「そんなこと聞いてねーよッ！　それとこれとは話が別だーーっ！」
「そのわりには、すんごく濃厚な舌技だったんだけどぉ？」
「誤解されるようなこと言うなーーーッ！」
「要するに、舌入れられてもすぐには気づかないぐらい、他のこと考えてたってことだろ」
　伊月の目は真面目だった。翔太は口元をぬぐいながら必死に弁解しようとした。
「うっせえ、だからって舌入れるかフツー！？」
「だってぇ、あたしぃ、翔太になら全部入れられたいもん〜。おくちのなか翔太でいっぱいにしたいもん〜〜っ！」
「変な声出すな！　くねくねもじもじすんなッ！」
「とにかく気になってることがあるなら言ってよね？」
「俺の貞操が一番気になるわーーーッ！」
「それなら大丈夫♪　すぐに強奪しちゃうから♪」
「誰が奪わせるかあっ！」
　と、そのとき、風に雨の匂いが混じった。翔太は空を見上げた。
　ざわざわと木の葉が揺れている。
　いつの間にか、空の半分が雲に覆われていた。じっとりとした風が心を騒がせる。
「雨……？」
「何だよ、洗濯物でも干してきたのか？」
　翔太は首を振った。
　公園に置いてきた少女のことが気になる。
（ベンチに座って、一粒につき五万回ずつ……）
　まさか。
　翔太は頭を振った。
　まさか、そんなことなど、あるわけがない。
　馬鹿正直に五万回もガムをかみ続けるなど。
　ただでさえ悪魔だと自称するぐらいだ。言われるがままにベンチに座って、おとなしくガムを噛みながらじーっと翔太が戻ってくるのを待っている、だなど。
　やはり、そんなことなどあるわけがない。
　翔太は苦笑いした。どうせ、そのうちに飽きていなくなってしまうだろう。
「何でもねえよ、んなことより教室戻ろうぜ。一雨来そうだ」
　翔太は目をそらした。
　空が暗くなりかけている。ぽつり、と頬に雨の滴が落ちた。本格的に降り出しそうだ。
「そうだな」
　伊月も同意する。翔太はあえて記憶に蓋をした。立ち上がりながら、砂埃と一緒に不安をもはたき落とす。
「行こうぜ」
　放っておけばいい。野良猫と一緒だ。面倒を見なければならない理由などどこにもない。逆に、ちょっと気が咎めたからといって、気に掛けてしまえば、うっとうしくまとわりつかれるだけだ。放っておきさえすれば、そのうちに勝手にどこかへ行く。
　野良猫みたいに。
　雨に打たれて。
「……んなこと俺が知るかよ……」
　ぽつん、と雨粒がコンクリートに跳ねた。
「やべえ、マジで降ってきやがったか？」
　嫌な予感を、強引に押し殺す。
　翔太は頭をぐしゃぐしゃに掻いた。
　とりあえずゴミを全部ビニール袋へ突っ込み、ためらいだけをベンチへ置き去りにしたまま、雨を避けて校舎へと駆け込む。他にも雨に追われた生徒が何人か駆け戻ってくるのが見えた。
　雨音が強くなる。
　伊月が濡れたプリーツスカートをはたいている。
「ああん、濡れちゃった」
「カゼ引くぞ」
「大丈夫。このあと、翔太が全裸で抱いて暖めてくれる予定だから」
「全力で誤解を招くようなことを言うな」
　翔太はグラウンドを振り返った。降り始めた雨が空を白くかすませている。
「何見てんだ？」
　伊月が尋ねてくる。
　翔太は答えず、目をそらした。思い詰めた眼で、ひたと一点を見つめる。
　きっと、どこかで雨宿りしているはずだ。
　濡れっぱなしになっても待っている、なんてことは絶対にありえない。
　そうに決まってる、と翔太は思いこむことにした。そもそも、用もないのに不条理と理不尽がわいわいと列を成してネギしょってやってくる状態なのだから、こちらがいちいち構ってやる必要などないはずだ。
　だいたい、ろくに胸もないちびっこのくせに、あんな、悪魔だの輝かしき闇の魔王だの、偉ぶって訳の分からないことを吹聴しまくっているほうが悪いというものだ。
「だから、知るかっての」
　いらいらと舌打ちする。
　ぽつり、ぽつり、コンクリートにちらばった雨の跡は、やがて一面を濡らす本降りへと変わった。

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