めるきゅー　悪魔メルメルのきゅーとでえっちな世界征服！　２

　いとけない小さな手を頬に当て、恥ずかしげにもじもじしながら顔を伏せる。 「我の伝聞するところによれば、第一階梯における初夜とは、この世のものとも思われぬ絶望の放射、白き闇に溺れ、快楽と狂乱の阿鼻叫喚にうねり震えるがごとき煉獄の愛撫、ねっとりたっぷりじゅぷじゅぷれろれろするものであろ？　なぜ断る道理がある、マイスイート」
　少女はすべての動きが止まった青白い世界で、ただ一人平然と微笑んだ。
「返答は如何に」
　腰に手を当てたまま、ちょこん、と、可愛く小首をかしげてみせる。
「しょーた？」
　ようやく、無反応であることに気づいたらしい。
「しょーた？」
　かすかにうろたえた素振りを見せながら、少女は八坂翔太の前で手を振った。
「しょーた……？」
　だが、すべての時間が止まった世界においては、少女がいくら手を振ろうと、目に映るはずもない。
「なぜ答えぬのであるか？」
　少女の眼に、動揺が浮かんだ。
　青い瞳が潤んで、ふいにゆれる。
　少女は無反応の翔太を見上げた。
「しょーた……？」
　だが、翔太の身体も。
　世界もすべてが石となって灰色に変わってしまったかのようだった。心臓すら動いていない。息すら、していない。
　それは――
　色も、音も、匂いも。
　喜びも。悲しみも、慈しみも。
　苦しみすら、なくなった、空虚なる世界。
　少女は、手を伸ばそうとした。
「しょーた」
　だが、指先が触れた瞬間。
　世界が崩れ落ちた。
　少女は立ちつくす。呆然と。
「しょーた……」
　音もなく、気配もなく。
　八坂翔太の存在が消え去る。
　白い灰が足下にこぼれ落ちた。その灰すら、地に染み込むようにして消えてゆく。
「なぜ、消える」
　無は答えない。
「どこだ、しょーた。我から逃げようとしてもかなわぬぞ……こんな……」
　灰に触れようとした少女の指先から、無がすり抜ける。
　ふいに少女の眼に涙がにじんだ。
「我のせいか？　違うであろう？　違うと申せ、しょーた。砂になどなったりして。我にいじわるしているのであろう。よかろう分かった。そんなしょーたは嫌いである。我に対しあくまでも強硬なる反逆分子の態度をとり続けるというならばこちらにも考えがあるぞ！　我は魔女メルメル、大天魔にして至高の魔女、世界のすべてを支配する憎魔の王女にして世界のアイドル、淫乱美魔女コンテスト五〇〇万年連続一位の輝かしくもおぞましき極寒の悪夢を夢見るマグマの如き熟女の欲望に身をゆだね初心なる性欲をもんもんともてあますぴっちぴちの十三歳なるぞ……」
　少女の声に涙が混じってゆく。
　それでも、答えは返らない。
「我が望むことすべては叶えられてしかるべきである！　我はすべてを望む！　我はすべてを手に入れる！　そなたとそなたのちんこと初夜を手に入れるのだ！　しょーた、返事をいたせ。おい。こら。聞こえぬふりをしているのだな。わかった、あくまでもしらんぷりしようというならば我も腹をくくるぞ。もうおこった。致し方ない。少々痛い目に遭わねば分からぬようだな。貴様には未来永劫、お菓子抜きの刑を処する！　どうだ、こわいか！　しかと答えよ、しょーた！　こたえぬか！　答えてったら……いじわるはゆるさぬぞ……どうした……答えよ……！　なぜ答えてくれぬのだ、しょーた……しょーたぁ……」
　ぽろっと涙がこぼれ落ちる。
　少女は、フリルをふわりとなびかせて、わあっとその場に泣き伏せた。
「あ……えっ、うっ……うえっ……なんで……？何で返事してくれないの……？」
　空が、灰色によどんでいる。
　動くものひとつない。
　時と、時の、狭間。
　石がさざれに変わる永劫の時すらも、意味を持たぬ。
　すべてが無の世界。
「我が悪いの……？　世界を止めちゃったから……？」
　翔太以外のすべてが、さらり、さらりと崩れてゆく。
　やがて少女の目の前で、世界は、水銀が溶けるようにして消えた。
　しんとして。
　風に舞い散ることもない。
　ただ、止まっている。
「うぇええん……！」
　声だけが響く。
　ぐしゅぐしゅに顔を濡らして、誰一人はばかることのない世界で、少女は泣きじゃくった。大声で泣いて泣いて泣いた。
「うえぇぇん……ごめんなさいしょーた……もう……わがまま言ったりしないから……しゅ……しゅなおになるから……えぐっ……うぇえん……返事してぇ……もとにもどって……！」
　ぷわん、と。
　間の抜けたクラクションの音が青空に響き渡る。
　青信号が終わることを告げるバリアフリー用の横断メロディが耳に飛び込んだ。
「悪いけど、また今度な」
　うずくまって泣いている少女の頭を、翔太は、ぽん、と叩いた。
「あっ……？」
「じゃあな」
　何事もなかったかのように。
　けろりと素知らぬ顔で翔太は言い置いた。点滅している歩道用の青信号が消える寸前、ダッシュで横断歩道を駆け渡って、走り去ってゆく。
「あ……！」
　少女は涙でいっぱいの眼を、ふいにぱっと太陽のように輝かせて飛び上がった。
「しょーた！」
　両手を羽ばたかせながら声の限りに叫ぶ。ほっぺたがいちご大福をひっぱったようにゆるんでいた。
「なれなれしく呼ぶな。他人のくせに」
「しょーたあっ！」
　少女はふわりと空を飛んで翔太の首へかじりついた。
「しょーたんしょーたじょょーだあ〜〜〜しょうたが戻ってきてぐれたのである〜〜！　ざっぞぐぶじゅんいぜいごうゆうじゅるじゅるのである〜〜〜！」
「何だよもうっ！　鼻水つけるなっ」
「ごめんなさいなのである〜〜〜」
「あー、もー！　いい加減にしろよ疫病神。俺学校に行かなくちゃならないって言っただろ」
　翔太はいらいらと立ち止まってポケットからティッシュを出した。
「ほら、ちーんしろ」
　少女は翔太にされるがまま、ティッシュにちーんした。鼻をつままれてふがふがする。
「えへ、すっきりしたのである」
「まったく」
　少女はぐすっとしゃくり上げながら、また偉そうにふん、と反っくり返った。
「何だと。我は疫病神ではない。悪魔である！　世界をも言葉一つで滅ぼせる悪魔なのであるぞ！　その我が望むのであるから今すぐよこすのである。聞いているのかしょーた、我と不純異性交遊するのである。ちんこよこすのである」
「ちょっ……わ、わかった、分かったから小学生みたいな連呼はやめろ」
　顔を真っ赤にして、ぴったりとかじりついてくる少女を押しのける。他の通行人の眼もあるというのに、耳元でちんこちんこと叫び続けられてはたまらない。
　とそこで、はたと良いアイデアを思いつく。
　翔太はポケットからガムを取り出した。
「これ何か分かるか？」
　少女の目の前でちらつかせてみる。
　少女の目が、ガムのパッケージを追いかけて上下左右、きらん、と光った。これは脈有りだ。
「分からないのである！　でもおいしそうなのである！　それは第一階梯世界における生け贄の供物であるのか！？」
「ガムだ」
「おお！」
　一本釣り完了。翔太は周りを見回した。
　マンションの横に公園がある。
「あの公園、見えるか？」
「見えるのである」
　両手をむすび、わくわくと目を輝かせながら少女はうなずく。
「じゃあ、公園へ行って。ベンチに座って、一粒につき五万回ずつ噛め。それぐらい悪魔ならカンタンだろ？　噛み終わったら話を聞いてやる」
「うむ、分かったのである！　五万回噛めばいいのであるなっ！？」
「よく噛むんだぞ。呑み込んだらやり直し」
「わかったである！」
「公園に遊びに来ている小さな子や他の人にちょっかい出すなよ。悪さしたら許さないからな」
「罪深き聖者の命は取らぬ。呪わしき汚物の名においてしかと誓おうぞ」
「じゃ、あとはよろしく」
　翔太はスタコラと逃げ出していった。
「で、かみ終わったらどうすればよいのであるか……？」
　ガムを手にした少女は、不思議そうに顔を上げた。
「あ、あれっ……しょーた？」
　翔太の姿はもうどこにもない。だが、少女は翔太からもらったガムを、嬉しそうに見つめた。
　何度も空にかざし、眼を細めて。
　それから、胸に抱き寄せて、ぎゅう……っ、とほおずりする。
「おお、なんという親切設計。我にもちゃあんと分かったのである！　かみ終わったら紙に包んでくずかごに捨ててください、とここに書いてあるではないか。おそらくこれこそが世界最大の暗号。錬金の秘めやかなる儀式、金と血と鉄を闇のるつぼで混ぜ合わせ掻き回し煮え立たせるがごとき大いなる婚姻に使う魔導具に違いないのである」
　などとひとりごちつつ。
「では、いざ。逝くのである」
　魔女メルメルは、うっとりと頬を染め、ガムを両手にしっかりと持って、とことこと歩いて公園へと向かった。
　るん、るんっ、と鼻歌なぞかろやかに歌いながら、時につまさきでくるりと回り、時にスキップして、ほがらかな足取りで公園内に入る。
「わあっ、かわいいなのである！　メルメルも遊びたいのである」
　さっそく舞い上がって飛び上がる。
「おっと、しょーたにもらった大切な魔導具をなくしては一大事である」
　いそいそとガムをポーチにしまい込んで、ふたをぽんぽん、と叩いてきちんと収まったかどうかを確かめる。
「ちゃんと入っているのである」
　うんうんとうなずく。
　魔女メルメルは、さっそく公園内を見て回った。
「むー？」
　ゆびをくわえてぞうさんのオブジェをまじまじと眺め。
「うー？」
　小首をかしげてぱんださんのオブジェにおそるおそる近づく。
「あ、ここは砂で覆われている区画なのである。砂漠地帯なのである」
　砂場に足を踏み入れる。
　誰かが昨日作ってそのままにしておいたのか、プリンカップで型抜きして作ったお城とトンネルが残されていた。
「永遠の罪業に焼かれし砂上の楼閣とはすなわち刹那の白昼夢に似て愚かしくも無様、かくも哀れなる墓標の砂城なるものを我もぜひ造ってみたいのである！」
　メルメルはステッキを振った。
「めるめるふりふり魔法でぽん！」
　一瞬ののち――
　砂場一面を暗黒と地獄のあぎとでえぐりぬいたかのような闇の城が現れた。無数に枝分かれした邪悪な茨にまとわりつかれている。高さは約三メートル。少々つついたぐらいでは壊れない。ただし砂場へ遊びに来た幼児のみなさんが見れば、その瞬間あまりのまがまがしさに号泣すること必至であろう。
「我の城にしては少々かわゆくないのである。もっとこう阿鼻叫喚っぽく……まあよい」
　メルメルは、ちょこん、とベンチに座った。背もたれと座面の間から、ちょろり、と金のシッポが垂れ下がっている。
　ガムを取り出し、しばしの間、じーとながめる。
「いいにおい！　なのである！」
　ぱたぱた尻尾を振り動かす。メルメルは幸せそうにガムにほおずりし、鼻をよせて、くんくんした。
「はふぅ……！　やっぱりおいしそうなのである！　食べるのもったいないのである！　でも食べたいのである！　ああんっ、我はどうすればいいのであるか〜〜！」
　紙をはがし、ぽい、と口に入れた。
　むぐむぐと噛み始める。
「あふん！　おいしいのである！」
　ベンチに腰掛けたまま、嬉しさにぴょんぴょん跳ね、震い上がる。
「甘いのである！　これなら五万回なんてすぐ噛めるのである」
　何回か噛んだガムを指でひっぱり、にゅーっと伸ばしては、またひゅるるる、と吸い込んでかみ続ける。
「おもしろいのである！　ぴろろろって伸びるのである！　もっと噛めば、もっと伸びるのである！　よーし、がんばるのであるー！」

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