めるきゅー　悪魔メルメルのきゅーとでえっちな世界征服！　１

「この世界はいずれ憎魔《ゾーマ》のものとなる」
　開口の第一声からして理解不能であった。
「聞いているのか八坂翔太」
「はあ……」
　目の前に、少女がふんぞり返っている。
　ちんまりと未発達な身体。
　５頭身ぐらいだろうか。まるで人形のようだ。
　どこからどうみても”ちっちゃいお子様”が勘違いして胸を張っているようにしか見えない。
　手に、どこかのオモチャ屋さんで買ってきたらしい、魔法少女アニメのお約束グッズ的なステッキを持っている。
「もはや逃れようのない運命。未来。世界時計は死の秒針を一刻、また一刻と推し進めている。地球と呼ばれるこの惑星世界は、我らが花魔族にとり闇の箱船、闇のエデンである。貴様らは望むと望まざるに関わらず肉欲とソドムの道を突き進んでいるのだ」
　ステッキからふわふわと長いリボンが垂れている。少女がステッキを振るたび、リボンから虹色のはなびらがこぼれた。
「あのうどちらさまで」
「我の名はキュートな花悪魔メルメル、えっちな世界征服を夢見る美少女憎魔である」

　――たとえばの話。
　一部の、そう、極めて限定的な話だが、ごく一部の人間にとって、世界は極めて不条理だ。
　高校生、八坂翔太も、そう感じる一員だった。
　せっかく頑張って組み立てた立体パズルが、なぜかがんじがらめに入り組んでしまって、二度と抜けなくなった――そのくせ、微妙に失敗して妙にはずかしいかたちに突き出してしまった的な――非常に微妙な状況に陥っている。
　むろん、害悪を為してしまった、というわけではない。考えてみて欲しい。江戸の仇が宇宙ステーションで討たれるはずもなく、また遠い先祖のそのまた先祖の因果が現代に生きる赤の他人に報いてくるはずなど決してあり得ない。
　なのに。である。
　人生において、あり得ない不条理が次々に降りかかってくる。
　”不条理連鎖症候群”。実に微妙なダメポぶりをＤＮＡに持つ希有な存在。
　それらの病に犯されたものにとって、不条理は日常と肩を並べており、さもあたりまえのような顔をして鎮座している。
　もちろん、常人にいくら説明しようとも、現実は如何ともしがたい。動かざること山の如し。
　うんうん、たいへんだね、へー、それで？　聞き流されるのもまた不条理である。決して理解してはもらえないだろう。
　だが現実から一歩ひいて俯瞰してみれば、世界が決して安寧とはし続けていないことに気づくだろう。
　すべては、世界を浸食する不条理という名のメガダークストリームである。
　いくつか例を挙げてみよう。不条理について枚挙にいとまがないことはすぐに理解して頂けるはずだ。
　大人気ソフトを発売日に到着するよう一ヶ月も前にネット通販で予約したら注文過多でなぜか必ず前日にキャンセルされたとか。
　お取り寄せグルメセットを頼んだと思ったらスカスカカビまみれセットが送られてきたとか。
　美少女かと思ったら男だったとか。
　空から嫁が降ってきたかと思ったら悪魔だったとか――

「こら、無視するなである」
　少女は、ステッキでコン、と八坂翔太の頭を叩いた。
「いてっ」
「我の話を聞け、なのである。学校で習わなかったのであるか？」
　ぷう、とむくれた顔をして、高飛車に続ける。
「良いか。続けるである。我は、我の孕みし闇の落とし子こそ暗黒十字世界の最下層たる第一階梯地球の魔王となるべきを予知し、その種となるべき肉奴隷を捜す旅に出ているのである」
「……肉奴隷……？」
　よく分からないがここは右から左に聞き流すか無視するか耐えるかの三択しかなさそうだ。
　少女は、つん、とせいいっぱい胸を張り、こまっしゃくれたあごを突き出して続ける。
「聞くがよい愚かなる人間よ」
「っていきなり愚民扱いかよ」
「憎魔の輝かしき闇の王が生まれ出ずるとき、我らが花魔族の栄光に満ちた世界が天花乱墜する。すなわち地獄の花の咲き乱れる暗黒の澱み、名状し難き混沌と恐怖に苛まれ覆い尽くされ人々のすさぶる怨念と絶叫が滝となり豪雨となって永遠に流れ落ちるであろう阿鼻叫喚の大地。贄たる人間どものうちふるえる死の嘆きこそが悪魔の蓮華となり至高の供物なのである。ということで、分かったか、スイートハート。分かったらちんこよこせである」
「形容詞大杉」
　少女のあたまのてっぺんは、高校生の八坂の胸より下、ほとんど腹あたりにやっと届くか、届かないかぐらいだ。
　だが、幼く見える外見とは裏腹に、ぷっくりとかわいらしいあひる口からは、やにわには信じがたい暗黒邪気眼スメルたっぷりな闇セリフが織りつらねられている。
　曰く、理解不能。
　正視不可。
　諸行無常。
　まさに悪辣なる邪教神典が如く。
　それでも、ぱっと見た限りでは、思わずどきりと胸をときめかせてしまうほどに少女の面持ちはいとけなく、愛らしい。
　――あくまでも、見た目に限った話、だが。
　可愛らしいフリルのレース。
　ふんわりと幾重にも透けるチュールのかさなった黒いコルセットドレス。肩からはかわいいひも付きのポーチを斜め掛けている。
　総レース、肌の色がうっすらと透ける黒のニーハイに足下はゴシックなエナメルの編み上げ厚底ブーツ。
　真っ白なフリルブラウスの胸元には、ちょこんとむすんだベロアの赤いリボンがちょうちょになって下がっている。
　赤いリボンカチューシャでとめた髪は、天使の羽を思わせるかろやかさだ。ふわふわと金色の光を放ちながら、肩から腰にまでとどくほどの長さで風にたなびいている。
　髪の毛と同じ色にふんわりふくらんだ、やや巻き毛のシッポ。
　ぷにぷにと柔らかそうなほっぺた。
　ぱちりと見開かれた大きな目は緑がかった色にきらめいている。その回りをふちどるまつげは、おどろくほど長く、濡れたように光る。
　それよりも不思議なのは、少女のまわりをとりまく威光だった。
　黒い棘のような、あどけない笑顔のような。天使の羽にも、悪魔の羽にも似て、あまりにあやうく、甘く、無防備すぎるがゆえに危険な不均衡の魅力を醸させて止まぬ、清純なる誘惑の花芽――
「あー、うー、どちらさまでしょうか。ボンジュール？　グーテンターク？　ズトラーなんちゃら？　オーラ？」
「ガイジンではない」
　少女は腰に手を当て、ふんぞり返った。
「さっきも言ったであろう。我の名はメルメル。死愛花《ラブレシア》の力を宿す憎魔《ゾーマ》である」
「最近……また症状が強く出て来てるな」
「この第一階梯世界において信じる者は巣くわれないという」
「はいはい」
「これはつまり虚ろなる神を信じる者は悪魔に魂を奪われないという意味であろうと推測された。闇と地獄と炎によって炙られし魂どもの燃えカスよ、悪魔の福音たる我が絶叫を聞いて、さあふるえるがいいスイートハート。のどちんこをふるわせろれろれろれ」
「ろれつ回ってないのかよ。ちょっと待ってくれ。最初の方がよく聞きとれなかったんだが、そもそもなぜ、恥も外聞もなく大声でちんこちんこと連呼するのだ」
　愛らしきゴスロリ少女にちんこをよこせと恫喝された少年、八坂翔太は、忸怩たる思いで相手を見つめた。
　”不条理連鎖症候群”。別名――厨二病。
　その忌まわしき病が、ついにこんな事態を引き起こしてしまうとは。
　実は……八坂翔太は、不条理という不治の病に冒されていた。
　医師からその病名を告げられた瞬間、正常な人間である両親は鼻から鼻水を吹き、目から涙を流して昏倒したという。何という理の世界。鼻から鼻水を噴き出すからこその鼻水である。
「貴様のちんこが欲しいからだ。わかったらさっさと我にちんこを見せるがよし」
　少女は、いったい何を言っているんだ、とばかりに、心外な表情で頬をふくらませた。
「ほらよこせ。よこさないと我は怒るのである」
　両手のこぶしを身体の前でつくり、すねたような上目づかいをして。
　いやいやをするかのように、身体を左右に揺らし、むー、とくちびるをとがらせている。
「でも、そんなことしたら俺、公然猥褻罪で警察に連れて行かれちゃうんだけど」
　公共の場、あるいは公衆の面前でちんこちんこと言われても困るのである。それよりも先に違う罪名がくるかもしれない。
「こーぜんわいせつざいとか知らないのである。ちんこもよく知らないである。だからまず見せろと言っているのである！」
「知らないって……知らないのに見せろって言ってんのかよ」
「やるは一時のスリル、できるは一生のスリルである」
「意味不明だし」
　こういう場合、まずは説得を試みるのが一番だ。話して分かる相手だとは一目見て”思わなかった”が、時間稼ぎにはなる。うまくごまかしてこの場を切り抜けるのが一番だ。
　少女は相変わらずぷくう、とほっぺたをふくらませ、可愛らしく八坂を睨み付けている。
「ちんこ見せろと言っているのに聞こえなかったのかマイチキンハート？　聞こえぬ耳ならばちぎり取ってやるのである。そのうえで煮えたぎる鉛の棒を尻の穴から鼻の穴まで貫き通し、燃えさかる内臓へと地獄釜の湯を流し込み脳までキレイに茹だり尽くしてやるのである！」
「……」
　八坂翔太は、眼をそらした。
　これは、アレだ。
　本気で関わってはいけない部類だったかもしれない。
「あー、すみません、私、ちょっと急ぐのでー」
　棒読みで逃げ口上を唱えつつ、じりじりあとずさる。
　こういったモノが落ちてくることはよくある。たまたま――
　そう、たまたま乗り合わせたバスにハイジャッカーがいたり。
　たまたまネットオークションで落札したコミックに殺人事件の証拠にしか思えない血痕がとびちっていたり。
　たまたま出かけたハイキングで日本には決して存在してはならないはずの超巨大毒蛇にからみつかれたり。
　ＵＦＯにさらわれたり。
　美少女十人にまとめて告白されたと思ったら全員宇宙人の男だったり。
　どうせ、今回もそれらと同じレベルの危機に過ぎない。
　たまたま目の前に立っている少女が自称悪魔である、という――ただそれだけのことだ。
「何用だマイスイートハート。愛しの我を置いて一人どこの罪深き荒野へゆく」
　逃げようとした翔太の手を、少女がつかんだ。
　翔太はため息をついた。
「どこへって、いい加減にしてくれ。だいたい分かるだろ？　平日の朝８時すぎと言えばみんな遅刻寸前でトーストをくわえ家を飛び出して走っているかあるいは間に合わぬバスを待って地団太を踏んでいると相場が決まって――」
「時ならば我が止めてやるのである」
　次の瞬間、なぜか世界が凍り付いた。
「止めてやったぞマイスイート」
　少女は、ぺたんこな胸をそらし、腰に手を当ててふんぞり返った。
　ふん、と鼻を鳴らす。
「どうだ。我の力を見たか。恐れ入ったであろう。恐れおののいたところで本題を申しつける。我、悪魔メルメルは八坂翔太との結婚を前提に不純異性交遊なる肉体交渉を持つこととした。我が求婚は至上である。ただちに数億の魂を受胎させよ。さもなくば未来永劫、貴様のちんこは地獄の鉄網にて焼き焦がされ貫かれ灼熱のビートを刻み続けることと相成ろうぞ。いやなら無条件に我を受け入れ、夜な夜な快楽に悶えるがよい」
　少女はステッキを振った。てのひらに小さな小箱がちょこんと乗る。
「こんにゃくゆびわである。我の手によりこの隷属の証したる指輪を嵌められてしまえ。さればすべては許されよう。世界すら望みのままである。速やかなる実行を我は望む。マイスイートハートと汁まみれな新婚初夜を偸安とするべく」
　少女は、ぽっ、と頬を染めた。
「ただいまより初夜の秘儀を執り行う」

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