セレムはポケットに手を入れ、メダルの感触を確かめた。
フォーニア騎士伯、リンウッドのボンクラ、エルシリア侯と来れば、次に狙われるのは自ずと誰か分かっていた。刺客を放つ目的は、エルシリア騎士の結束を崩し、王国への不信感を高めさせるために違いない。
とすればラトゥースか、ヴァンシアン・ナイツの主だった面々……。
ハダシュとかいう陰気な男は、どうやら別の命令を受けたらしく、いつの間にかいなくなっていた。
もとより同行したいタイプの人間ではないから、かえって気が楽になる。あんなのを平気で手駒に使うラトゥースの気持ちは、とてもじゃないが分からなかった。
だが、蟄居の身になってしまえば公的な地位にある者の出入りは許されない。あの男以外に、ラトゥースの意を汲むことができる者はもう、いなくなるのだった。
「あたしが守らなきゃ。あんな奴に任せてたら、それこそ……」
セレムは自らに檄を飛ばし、気合いを入れ直した。
何が何でもギールに会って、本当のことを確かめずにはいられない。でも、もし、すべてギールの狙い通りなのだとしたら、その現実と果たして向き合えるかどうか……。
セレムはナイツ公館の地下倉庫へと降りていった。武器庫番の兵士は、セレムの顔を見て、フォーニア閣下から話は聞いてますよ、どれでもお好きなのをどうぞ、と言った。
「どれもいいんですけど、一番威力があるのはマスケットライフルですねえ。ほら、しっかりしたソケット銃剣もついてるし。でも少し重いんで、セレムさんみたいに華奢な女性には、ちょっとお薦めできないですかねえ」
セレムは渡された銃を構えてみた。
「うわ重い。銃架がいるね」
「じゃあ、これなんかいかがです」
兵士は引き出し、をあけて、先端がラッパのように広がった銃を取り出した。先ほどのライフルと比べると随分銃身が短い。
「チャルメラ？」
「やだなあ、ラッパ銃ですよ。これはね、ミュケレットロックっていって……当たり金の構造が最新技術を駆使して作られてまして」
兵士はどうやらガンマニアのようだった。着火構造について、細かい違いをあれこれ述べ立て、ふと気付いた埃を息で吹き飛ばし、袖口できゅきゅっと拭う。セレムは思わずくすくすと笑った。
「やだ、こんなの。持ちづらいし一発撃ったらそれっきりじゃない」
「火薬詰め直せばいいじゃないですか」
「そんな余裕があればね」
「そしたらですね、これっきゃないっすよ」
兵士が自信満々に持ってきたのは、ずっしりくるグリップに銃身が２本ついた、変わった銃だった。それぞれに当たり金がついている。
「引き金も二つずつ、ちゃんとついてますよ。多銃身銃ってやつです。騎兵用だからぴったりかも。撃ち終わったら、こっちのグリップでごいーんとぶん殴る。脳天に来ますよぉ～！ ちっちゃいけど、リング式の銃剣も付けられますし」
「お、いいねえ」
手持ちの武器としてはかなり重かったが、振り回されるほどではなかった。セレムは貸出証に署名し、銃を受け取って、射撃練習場へ向かった。
湖に面した一般人立入禁止区域に立つ。
少し離れた水面に、練習用の的が並んでぷかぷかと揺れていた。
構えて、狙いを付けてみた。息の詰まるような緊張が、重みとなって手首から腕にかけて伝わる。
いったん銃を下ろし、コックを引き起こして火薬を入れた。慎重に弾を込める。
覚悟して、右の引き金を引く。骨が折れたかと思うほどの反動に、思わず銃口が跳ね上がった。越冬に来ていた水鳥たちが一斉に飛び立った。セレムは悲鳴を上げ、取り落としそうになるのをこらえた。
続いてもう一発。
狙ったのとは違う的が砕けた。
「命中……とは言えないよね……」
こんな付け焼き刃では、とうてい当てになりそうもない。だが、相手が手練れであればあるほど、少しでも間合いの遠い銃で威圧し、隙を狙う以外ないような気がした。
ふと、銃口を向けるべき相手に思いを馳せる。今どこで何をし、何を考えているのだろう……。
魚のはねる水音に、はっと顔を上げる。小さな波紋が、葦の揺れる湖面をさざめきながら広がっていった。
事実から目をそらすことはできない。結局、立ち向かうしかないのだ。
セレムは、ともすれば気弱になっていこうとする気持ちを奮い立たせ、唇を噛みしめた。
■
「おっさん」
ハダシュは高札に見入っていた巡礼に声を掛けた。薄汚れた巡礼は、首だけを捻って振り向いた。
「またあんたか」
「う……？」
眼だけがぎょろぎょろと光っている。
「ずいぶん熱心だな。知り合いか」
巡礼はぶるぶると首を横に振り、たどたどしく口ごもった。
「お前、なぜ、俺に……構う？ め、め、迷惑、か？」
右腕をかばう様子を見せ、じりじりと後ずさっていく。ハダシュは相手の動きに眉をひそめた。
「ビクビクすんなって。何もしやしねえよ。あんたがあんまり動かねえもんだから、よっぽど気になるんだと思って」
「何も……別に……」
巡礼の口調が呟くように変わった。
「読めないんだ」
「字が読めねえぐらい、どうってことねえよ」
ハダシュはすっと距離を詰めた。巡礼は足をにじらせて間合いを取り、怯えた眼でハダシュをすがめた。
「よ、よ、よ……寄らないでくれ。こわ、こわい」
ハダシュは苦笑いを浮かべ、興味を失った様子で肩をすくめた。
「勝手にしな」
そのまま、ぷいと姿を消す。残された巡礼は深い息をついて、もう一度高札を見上げようとした。
突然、空気がざわついた。
巡礼は振り返りざま、地面に手をついて跳ね飛んだ。ナイフがぎらついてマントを切り裂いた。巡礼はとっさに刀を抜き払い、低く身構えた。
何事かとどよめく人々の視線が巡礼に突き刺さった。
「結構本気で斬りつけたつもりだったんだがね。よくもまあ、しれっと簡単に避けてくれやがって」
ハダシュは苦笑混じりのためいきをついた。手にしたナイフをひらひらさせ、苦笑いを浮かべた。
「普通じゃねえだろ、てめえは、どう考えてもな。いい加減、正体を現したらどうだ」
巡礼は呻いて刀を取り落とした。手首を押さえている。
「怪我か」
ハダシュは氷刃のような眼を細めた。
「クレヴォーの親父、剣を掴んだまま死んでたらしいな」
「俺じゃない」
巡礼はあとずさった。
「お、俺は、違う……」
ハダシュは巡礼の放り出した刀を踏みつけ、器用に蹴り上げて拾った。ぐいと湾曲した幅広の長刃に目を留める。
バクラント独特の形だった。
「竜月刀か。巡礼の持ち物じゃねえな。てめえは……」
巡礼はぶるっと体を震わせた。追いつめられた小動物のような表情に、苦悶の色が浮かぶ。
ハダシュは絶対の優位を確信した。
だが、巡礼が、怪我をした手で自分の顔を激しくもぎ取るような仕草をした瞬間、その油断はあっけなく吹き飛ばされた。
突風が襲いかかる。視界の外側から、顔面すれすれを何かがかすめた。ナイフが靴先に隠してあったらしい。鬼火のような軌跡が弧を描いた。
かろうじてのけぞり、逃れる。
飛びすさるハダシュを嘲笑うかのように、巡礼は不穏な呼吸音を漏らしながら、ゆっくりと顔を上げた。
なだれかかる黒い髪の下に、飢えた獣の眼が光っていた。その凶悪な眼差しに、思わず息が止まる。誰かが悲鳴を上げた。矛槍を手にした聖堂の衛兵が騒ぎに気付いて群がり寄って来る。
「死に損なったな、小僧」
巡礼は歯を剥いて凄絶に笑った。身を翻す。
黒い姿が巡礼の流れに飛び込んで消えた。ハダシュはそれをただ、呆然と見送るしかなかった。
「大丈夫か、君、怪我は」
衛兵が声を掛けてくる。ハダシュは我に返って、馴れ馴れしい連中を振り払った。
「るせえ！ 邪魔だ、どけ」
竜月刀を突きつける振りをしてその場を脱する。衛兵たちをまいてしまうと、ハダシュは全身に虚脱感を覚えて、立ち止まった。
バクラントの刺客。
真偽を確かめるすべはなかった。不覚をとったわけでもない。信じられないことに、この自分が、あの眼に射すくめられて動けなかった……。
ハダシュは頭を振って、急かされるように歩き出した。
この国がどうなろうと知ったことではなかった。国王が死のうが、どこかの領主が襲われようが、そのことでセレムがどれほど苦しもうが、何の痛痒も感じはしない。
ただ、真っ青な顔で巡察使のメダルを握りしめていたラトゥースのことだけが、唯一の気がかりだった。
■
蟄居を一時的に解かれたかつての王国巡察使ラトゥースは、宰相ナーフィ・シド・サズュールに登城を命じられ、報告に上がった。その扱いがあらわすように公式の執務室ではなく、宰相の個室、どことなくかび臭い書斎へと通される。
壁の棚一面に、黄色く変色し、縁のめくれあがった古書の束が積み上げられていた。散らかった机の上には奇妙な仕掛けらしきものが見える。ねずみがくるくると回す車の勢いに合わせて、小さくゆらめくほのかな光が明滅していた。
宰相が魔法使いだ、という噂は本当なのかもしれない。そう思われて当然の部屋だった。これに大鍋があって、ぐつぐつと怪しげな薬を調合でもしていれば、間違いなく信じただろう。
目の前の机に古い地図が広げられている。
それは、ラグラーナ全域と、海を隔てたバクラント諸島すべてを含んだ詳細な地図だった。宰相は挨拶抜きで話し出した。
「ルイネード侯ガストン・ゴーティエ殿とはお会いになられましたか」
ラトゥースは視線を上げ、うなずいた。
「〈黒薔薇〉の件が片づいたときに表敬訪問しました」
「どうでした？」
「シャノアの新しい総督が誰になるのか知りたがっておいででした」
「でしょうね。で、何とお答えに？」
「このような不祥事を二度と起こさぬよう留意いたしますと」
ナーフィは声を上げて笑った。
「なるほど、それではルイネード侯もさぞ心配しておいででしょう」
ルイネード侯は海賊、山賊の長に等しい存在である。もちろん、国家に組み入れられた時期も遅い。自由貿易都市シャノアを直轄領として奪われたことを未だ逆恨みし、よからぬことを企んでいるとも聞く。
しばらくの間、ラトゥースは食い入るように地図を見つめていた。
物語でしか聞いたことのないような地名が書き込まれている。ふだん目にする地図とは、かなり違う気がした。
やがて、ナーフィはバクラントの首都近くをこつん、と指先でつついた。〈竜の社〉と書かれてある。
「竜毒のことですが」
「はい」
ぞっとする記憶に、ラトゥースは肩をふるわせた。〈黒薔薇〉が国王暗殺に使おうとしていた毒。その実験と称した暴挙によって、何十人もの人が犠牲になった……。
「出所は分かりましたか」
「申し訳ありません」
ラトゥースは頭を垂れた。
「……確認できませんでした」
宰相は、あまり気にしなくてよい、というふうにかぶりを振った。
「私の知るところでは、竜毒の元となる原料の角は、突然に死んだ若い竜からしか取ることができません。竜の角はそれだけで霊的な作用を持つとされるので求めたがる者も多いのですが、なにせ分量がね……」
ナーフィは大きなケースをテーブルに乗せ、ぐるぐるまきにした布の包みを取り出した。その包みを、ゆっくりとほどく。
出てきたのは、金色に輝く角を削りだして作った、美しい碑物だった。全体に文字が刻まれている。
鬱金の照り返しに頬を染めつつ、宰相は呟いた。
「これは竜の書、というものです」
「竜の……ってセレムんとこにも……あれ、どうなって……？」
ラトゥースはぽかんと口を開けたまま、礼儀も何もかも忘れて、不思議な輝きに見入った。
「ラトゥースどのがそういうお顔をなさるとは、少しばかり意外だな」
ラトゥースはあわてて女侯爵の顔を取り繕ったが、もう遅かった。
「刻まれているのは古バクラント文字、」
ナーフィはかすかに眉を寄せ、遠い昔を思い出す表情を浮かべた。
「”竜《ナーラダ》の守護アスラの名に於いて、静謐なる墓場の安寧を乱す者に死と滅びの呪いを”」
「呪い！」
ラトゥースは唇をゆがめた。畏れと苦笑いが入り交じる。
この現代にそんな迷信じみた場所があるわけがない。だが、竜の角も、それから作られる薬も、その薬を加工して手に入る毒も、たしかに実在する。
「竜の角からは、全てを癒す霊薬、全てを滅ぼす毒薬、その両方を作り出すことができます。それはもうご存じですね。でも、その力がもたらす闇を、人は欲してしまった。自らの欲望のためにね。そのせいで竜たちは己が死を暗く深い闇の底で迎えるようになりました」
「まさか、バクラントはこれを狙って……陛下を」
「もう、そういう時代は終わったと思っていました」
自嘲気味な独り言を漏らしたあと、宰相は、いとおしげに竜の角をなでた。
「竜の角があれば、疫病や怪我で失われるかも知れない大勢の命を救うことができるでしょう。私もかつては、その力を渇望するものの一人でした。癒しの力が欲しかったのです。兄の力になりたかった……でも」
ナーフィの表情から文官の穏やかさが消えた。代わりに鋭く厳しい参謀軍師の顔が現れる。
「最初にあなたからの報告を受けたとき、何人かの間諜をバクラントとルイネード双方へ放つことにしました。殆ど戻ってきませんでしたがね。ルイネード侯はいつものごとく、エルシリアよりはバクラントと近しくつきあっておられるようですし、そのバクラントは、宰相アー・エルの完全な影響下にあり……アー・エルのことはご存じですか？」
ラトゥースはわずかに首をかしげた。
「いえ」
「覚えておいてください。とは言ってもよく分からない人物で、軍師、占い師のたぐいと思われるのですが……確かなのは、バクラント王に絶大な信頼を置かれているということぐらいでしょうか。
我が国とバクラントは、先代どうしが特につきあいの深かった友好国です。政治的経済的に、表向きとはいえ良好な関係を続けていられるのはそのおかげです。
でももし竜の書が遠因だとしたら今後は……」
突然ナーフィはためらい、言葉を飲み込んだ。ちらりと苦悩をのぞかせ、ラトゥースを見つめる。
次に漏れてきた言葉は、ラトゥースを凍り付かせるに十分だった。
「本当のことを申し上げます……こんなもののために、クレヴォー侯を犠牲にしてしまった」
ねずみの回す車が、こきざみに揺れながら乾いた音を立て続けている。
他に音はない。
この国を支えているのは王の人柄と宰相の知恵。この国の誰もが信じているように、ラトゥースもまた二人を敬愛していた。義父の無実を信じ、断頭台送りから蟄居に減じる猶予をくれたことに心からの恩を感じてもいた。
その信頼を崩されることが、何よりも恐ろしかったのに。
なのに、容赦ない真実が当の宰相から語られる。
「竜の角の力は、あまりに強大でした。薬としての力は信じがたいほど……でも、悪意をもった人物の手に渡れば、その力はたちどころに何百何千という命を確実に奪う毒となる。
もっと早く気付くべきでした。持て余すほどの力は、いつしか人に悪意を忍ばせ、他者に誇示し駆使してみたいという邪な願望を抱かせてしまいます。それが自身の弱さだと気付かぬうちにね。
すべて、私の罪です。この期に及んでも、まだ諦めきれなかった私の……」
ナーフィは弱々しくためいきをついた。
「犯した罪は一生をかけてでも償えと……その兄のため、この国のため、私を許してくれたすべてのもののために、私がクレヴォーどのにお願いしたのです。当時まだ三歳だった実の娘を、偽の竜の書とともにラ・フォーニアへ養女に出し、本物の所在をあきらかにさせぬように。そしてかわりにあなたを娘とし、真贋を交差させすべてを闇へ葬り去るようにと」
がくがくと膝が震えた。ラトゥースは身をこわばらせ、手で口元を覆った。押さえていないと、今にも悲鳴が噴き出してしまいそうだった。
「一連のことは兄の知るところではありません。それだけは分かって下さい。すべて私の一存で行いました……でも、そのために、あなたには最も辛い思いをさせてしまった。心から申し訳なく思っています」
目の前で宰相が深々と頭を垂れる。
ラトゥースはうつろにかぶりを振った。何もかもが信じられなかった。セレムのことも、宰相のことも。そんなもののために義父の命が奪われてしまったことも。
ナーフィは目をそらした。
「あと一つ。フォーニア騎士伯を斬った傭兵が白状したことの裏が取れました。もう一人の刺客はギルベルト・デュゼナウ、バクラント傭兵軍団〈黒の騎兵〉の首領……アー・エルの懐刀と目される男です」
ラトゥースは目を閉じた。もう、どうでもいい。どうなってもかまわなかった。
「城の地下に部屋を用意しました。エルシリアでは最も安全と思われる場所です。フォーニア騎士伯が襲われ、クレヴォー侯が亡くなられた今、次に狙われるのはおそらく……」
話が終わった後、ラトゥースは騎士の礼をしたまま、ナーフィが立ち去る足音をずっと背中で聞いていた。
何もかも虚しかった。
■
「もう、会えないの……？」
セレムは、戻ってこないラトゥースを探して王城へ行き、拒否されて、ぽつんと立ちつくしていた。バーナムは苦渋に満ちた表情でうなずいた。
「クレヴォーさまのことを第一に考えろ。今はそれ以外、あの方をお守りする方法はない」
肩を落とし、とぼとぼとナイツ公館へ戻ろうとしたとき、街の方角にハダシュの姿が見えた。突然、むかむかと腹が立ってきた。駆け寄って怒鳴りつける。
「あんた何やってんのよ！」
ハダシュは顔を上げた。あいかわらず人を馬鹿にしきったような目だ。全く薄気味が悪い。
「何か用か」
その言い種に感情が爆発した。
「ラトゥースさまがもうお城から出してもらえないっていうのに……！」
「そこが一番安全なんだろうさ」
ハダシュは吐き捨てるように言った。
「そういう問題じゃ……」
「てめえに何ができる」
ハダシュの赤茶けた目に酷薄な表情がよぎった。
「グタグタ抜かす間があったら、聖堂の巡礼どもを片っ端から牢屋に叩っ込んどけ！」
セレムは目を見開いた。
「バクラントの竜月刀だ。傭兵崩れの殺し屋連中が気取って持ってるような」
ハダシュは刀を地面へ放り投げて言った。
「まともにやり合って勝てるような相手じゃねえ。俺もすっかりヤキが回っちまった。あれは罠に掛けておびき出すかどうにかしねえと」
ハダシュはセレムの表情に気付いて押し黙った。セレムは、まだ信じられないといった顔で呟いた。
「バクラント……本当に？」
「どいつもこいつも、剣ブン回すしか能がねえのか。俺は手を引かせてもらうぜ。バカどもにつきあってられっかよ」
それがこの男の本心でないことは、セレムにも分かっていた。さもなければ、まともにやり合って勝てる相手ではないと言いながら、戻ってくるはずがない。この男なりに、ラトゥースの事を考えているに違いなかった。
「いいか、何、血迷ってんのか知んねえけどな」
ハダシュは、うつむき加減になったセレムに残酷な言葉を放った。
「隙を見せたら獲られる。そういう敵だってこと、忘れんじゃねえ」