まだ日も昇らない朝早くから起きて、凍り付くような井戸水を汲み上げ、お勝手の水桶へ移す。積んである薪を細かく割る。それが終わると厩の掃除。ボロの掃除をし、寝藁を掻きだして陽に当てる。飼い葉桶に頭を突っ込んだ馬に声をかけながら、ブラシをかけてやり、たてがみを梳いてやり、爪を磨く。
セレムは忙しそうに立ち働くギールを二階の窓から見下ろしていた。見られていることに気づかないのか、ギールは口笛を吹き、鼻歌を口ずさむなどして、実に楽しそうだ。
掃除が終わると、ギールは馬具や武器をしまってある納屋へ向かって歩いていった。
セレムは舌打ちした。ああやってまじめそうに働くふりをしつつ、どさくさにまぎれて武器や金目の物を盗むつもりに違いない……！
いてもたってもいられず、使い慣れた革の防具をつけ、壁に掛けてあった剣を掴んで部屋を飛び出す。
納屋の戸は開きっぱなしになっていた。セレムはそうっと中をのぞき込んだ。
ギールは剣を一振りずつ、いちいち鞘から抜いて切れ味を確かめるような仕草をしながら、粗布の袋に詰め込んでいた。
いっぱいになると、破れそうなほど突起だらけの袋をよいしょ、と背中に担いだ。セレムはあわてて納屋の横へ回り込んで隠れた。
「ずいぶん重いな」
呟く声が聞こえた。
「これ全部磨くのは、ちょいと無理かもなあ」
セレムは身を縮め、拳を握りしめた。やっぱり泥棒だ！ 隠れ場所から飛び出して、きょろきょろする。
「おいコラ、泥……あれ？」
誰もいない。納屋の戸は開きっぱなし、剣を詰めた袋も無造作に転がしたままだ。
「あ、あれ……どこ行ったんだ、あいつ」
納屋をのぞく。暗くて何にも見えない。
手がにゅっと伸びた。
セレムは引きずり込まれるようによろめき、何かにぶつかった。背後で扉がばたんと閉まった。
「！」
「おやあ、お嬢様でしたか。俺を捜しに来てくれたんですか？ 嬉しいなあ。光栄です」
頭の上でギールの声がした。あわてて突き放そうとするが、抱きしめられ、手首を取られたままでは身動き一つ取れない。
「やめてよ、放せバカ、この……！」
「噂は本当でしたねえ。女と思って甘く見てると痛い目に遭うってのは」
ギールは皮肉な笑い声を立てた。
「お、お前、おじいさまに取り入って、どうする気よ！」
セレムはだんだん息苦しくなってきて、あえぐように言った。ギールに掴まれた手首がじりじりと痛み始める。
「別に、取り入るだなんて。足を洗ったんですよ、ホント」
「嘘つけ！ 今だって剣を盗むつもりだったんでしょ！」
「何だかとっても誤解なさっておられるようですねえ」
ギールはいっそう抱きしめる力を強くした。
「悲しいっすよ俺」
「うるさい、放せってゆってるでしょ！」
「こんなカワイイ顔して、俺と対等に立ちあえるような女なんて、ちょっと他にはいねえよな」
ギールは強引なことをしていながら、しゃあしゃあと言った。
「ちやほやされてさ、おべんちゃら言われて、それで天狗になってるんだとばっかり思ってた……」
セレムは息をかすらせながら、ようやく腕を抜き、肘で突っ張った。
「何が対等よ！ ボコボコにしてやったの忘れたの？ ふざけんな悪党！」
「俺が悪党？ 冗談だろ、悪党だった、と言ってくれよ。フォーニア様は俺に良くしてくれるし、機会があったら従騎士に取り立ててやるって言ってくれたぜ。そのお気持ちには応えねえとな。いつまでもうだつの上がらねえ森賊なんかやってたってしょうがねえだろ？ それに……」
ギールは奇妙に優しい目でセレムを見下ろした。セレムは目を逸らそうとしたが、できなかった。
「そういう気持ちになったのは、お前のせいなんだからな。そりゃあ、確かに悪党だったかも知れないけど、こればっかは嘘じゃねえぜ、お前を好きだっていうキモチ」
「……？」
一瞬、全身の力が抜けた。ギールの顔が近づいてくる。動けない。
唇が盗まれ……。
「○×△！」
火花が散った。ギールの顔にスクリューパンチがめり込んだ。
「何すんのよ、このケダモノ！」
セレムは、しりもちをついたギールに追い打ちをかける蹴りを入れ、顔を真っ赤にして怒鳴った。ギールは悲鳴を上げて逃げまどった。
「おい、ちょっと、勘弁してくれ、イテ、痛えっつうの……」
「こんどあんなことしたら小間切れの切り落としにしてやる！ 分かったらあっち行けバカ！」
セレムは後ずさりながら震える声で言い残し、納屋を飛び出していった。
「やれやれ」
ギールは鼻血を垂らし、打ちのめされた痣だらけの顔で、にんまりとした。
「ちょいと脅かしすぎたかナ」
「ねーねー、ギールさまってステキだと思わなーい？」
「きゃー！」
「ハンサムよねー！」
「きゃー！」
「でも、ちょっとワル入ってるかもー！」
「きゃー！」
「あたし、この間、お話ししちゃったあー！」
「きゃー……？ うそー、抜け駆けずるーい！」
「フォーニア様と道場にいらっしゃるときにねー、タオルお渡ししたワケー！ そしたらねー、笑って下さってねー、ありがとうって言われちゃったあー、きゃー！」
「きゃー！」
「いやーん！」
侍女たちの浮っついた話は止めどなく続く。お昼のティータイムだから堅苦しい作法はなくていいのだが、誰が誰を好きだとか、別れ話がもつれて大変そうだとかいうことばかりでは、いい加減聞いている方も飽きてくる。
「ねっねっ、セレムさまもそー思うでしょ？」
「えっ？」
突然矛先を向けられ、はっと我に返る。きらきら光るいくつもの目が、期待に満ちて輝いていた。これではとても言い返せない。
「そ、そうかもね」
「やっぱりねー！」
何を言っても笑い崩れるそのペースにはとてもついていけない。とはいえ、彼女たちの気持ちも分からないではなかった。
少なくとも人目につく場所では、ギールの振る舞いに昔の面影はない。祖父の前では言うに及ばず、どうもセレムの母にまで気に入られている様子なのだ。悪い評判はこれっぽちも聞こえてこない。ギールの素性をばらしたとしても、今のままでは誰も信用しないだろう。
それに……。
セレムはぼんやりと物思いに沈んだ。
（こればっかりは嘘じゃねえ……お前を……）
思い出しても赤面してしまう。あれはいったい、どういうつもりで言ったのだろう。まさか本気のはずはない。むりやり迫ってくるし。
でも。
あれから何度かギールと顔を合わせたが、言葉遣いがやたらと他人行儀で、いかにも猫を被ったような慇懃な態度しか見せなかった。それが盗賊のやり方だというのは分かっていた。そうやって人を安心させておいて、いつか何もかも盗んで……。
「セレムさま、セレムさまってば！ 何ぼんやりしておいでですの？ ねえってばあ！」
「あ、何？」
「んもう、ぜんぜん話聞いてくれてない！」
「あらら、ごめんね。で、何？」
「リンウッド村との対抗試合、ギールさまが出るって噂、本当ですか？」
「ええ？ 何、それ、マジ？」
「ご存じないんですか？」
「全然、聞いてないよ」
セレムはうろたえ、口ごもった。侍女は内緒話を得意そうに耳打ちした。
「速報ですよ。もしね、その試合に出て、勝てたら、ギールさま、正式な従騎士に取り立ててもらえるんですって」
セレムの眉がびりびりと逆立つ。
「それ、誰に聞いたの？」
「昨日、大旦那さまのお部屋を掃除してたらね。すごくご機嫌でいらして、お尻撫でられちゃってイヤーンとかしてたら、大スクープしちゃいました。ハージュの警備隊に推薦なさるおつもりなんですって」
「なぁぁぁぁにぃぃぃぃ～っ？」
セクハラじじいめ、血迷うにもほどがある！ セレムは椅子を蹴立てて立ち上がった。これではギールの思うつぼだ。どいつもこいつも騙されてるってことにどうして気づかないんだ？
セレムは血相変えてフォーニアの部屋へ走っていった。ろくにノックもせず、乱暴に戸を押し開ける。
「おじいさま、お話が！」
二人の人物が振り返る。フォーニアは日の当たる窓際でチェスの最中だった。相手は、よりによって、あの男だ。
「何じゃ、藪から棒じゃのお」
チェスの相手はすっと立って、胸に手を当てて一礼して見せた。むかむかと腹が立つ。
「ギール、あんた、席を外しなさい。あたしは、おじいさまと、お話があるんだから」
ギールは穏やかにうなずいた。皮肉な表情も浮かべない。セレムはギールがチェス盤を片づけ、部屋を出て行くまで、じっと睨み続けていた。
部屋の外で、侍女たちが期待に膨らんだ質問をぶつけていた。
「ねえねえ、ギールさま、どうしたんです？ セレムさま、何であんなに怒ってるの？」
「ほら、静かにして」
すました声だった。
「そんなこと、私に分かるはずないよ」
「騎馬試合の話だと思うんです、私……ほら、ギールさまが……」
声が遠ざかっていく。
「セレムさま、あの性格でしょー？ 自分でお出になるつもりじゃないかしら……」
セレムは外が静かになったのを見計らって、フォーニア騎士伯に向き直った。
「騎馬試合の件ですが」
「ああ」
フォーニア騎士伯は姿勢を正した。
「正しくは隣村対抗、騎馬試合じゃ。こっちからはギールが出る」
「あいつは騎士でもなんでもありません……！」
「話は最後まで聞かんか」
フォーニア騎士伯は、目に入れても痛くないほどかわいがっている孫娘の声を遮った。
「そもそもは、お前がいい加減なおつかいをするのがいかんのじゃ。この前、リンウッド殿にお渡しするよう言った手紙、あれ、どうした」
「えーと」
「あれはな、向こうのボンボンがどうしてもいいところを見せたいって言うのを、お前のためを思って断ってやったんじゃぞ。もし勝てたら、お前を嫁にくれと言うて」
「ぬわ！」
そういえば、子供に渡して、それっきりだったような。そんな大事なことが書かれてあるのなら、いちごマシュマロの顔を見るぐらい我慢したのに……歯がみするが、時すでに遅かりし。
「まあ、ギールなら万が一にも負けることはなかろうが」
「で、でも」
「お前のためだけにこき使うのは悪いからな」
フォーニアは魔法使いのように笑った。
「それで、勝てば従騎士にしてやる、バーナムとこの守備隊に推挙してやる、いい嫁も探してやる、竜の書も見せてやる、そういう条件で奴をたきつけたわけじゃ。お前、キノコ面のトゥールんところに嫁に行きたいか？」
「それとこれとは話が別です。あいつは信用できません！」
「それはないじゃろ」
フォーニア騎士伯は断言した。
「だって……」
セレムが言い募ろうとするのを押しとどめる。
「悪くない男じゃ。森賊などにしておくには惜しい。話も分かるし、頭も切れる。斜に構えて見るようなところもあるがな、世間知らずのドテカボチャより、ずーっといい男だと思わんか？ いやあ、良かった良かった。これから断り文句を考えるのに苦労せんですむわい」
セレムは絶句した。それは、もしや、つまり……。
試合が次の日に押し迫った晩、フォーニアの屋敷ではギールの壮行会が開かれていた。
皆、愉快に笑い、大声で隣村の跡継ぎの悪口を言い、それに引き替え、とギールを持ち上げては、何度も乾杯をし、浴びるほど酒を飲みまくっていた。
積み上げられた山の幸、多種のグリル、湯気の立ち上るポトフ、木の実をふんだんに混ぜ込んだ甘いパンなどが振る舞われたが、それらは広場に持ち込まれると同時に平らげられていった。
ギールは酔っぱらって真っ赤な顔をしながらも、気がかりそうにきょろきょろしていた。セレムの姿が見えなかったのだ。
ひっきりなしに村の顔役たちがやってきて、セレムさまはフォーニア村の女たちをカカア天下に変えてしまった、都でおつとめ中の旦那様に男子の跡継ぎが生まれなかったのは残念だが、セレムさまなら男みたいなものだし、あんなに気のお強い方と一緒になるには、それなりの覚悟がいるに違いない、といっては大声で笑って酒を勧めた。
それはセレムが村の者に慕われている証拠でもあった。
みんな何か勘違いしているようだった。あるいはおぼろげな期待であったかもしれない。
ギールは当惑しつつも、当のセレムを目で探し続けていた。月が屋敷森に隠れ、酔いつぶれた男たちがたき火の回りに集まって下手くそなサーガを歌い始める頃になっても、まだ現れなかった。
我慢できなくなって立ち上がろうとしたとき、男たちが歓声を上げ口笛を吹いた。
屋敷から見たこともない美少女が現れて、火の方へ近づいてくる。
集まった人々は思わず目を細め、ぽかん、と口を開けて美少女を見つめた。
決して華美ではなかった。肩の開いた、体にそっと寄り添うようなドレスを身につけ、真っ白い毛皮を襟に巻き、髪を結い、ほんの少し恥ずかしそうに頬を赤らめている。
「だ、誰だ、あの子……？」
「あんな人、お屋敷にいたっけ？」
「大旦那さまの新しい愛人か？」
男たちはひそひそとささやきあい、少女がゆっくり近づいてくるのを固唾を呑んで見守った。
少女は危なっかしい足取りでギールの前に立った。ギールは微笑んで少女の手を取り、跪いて口づけた。
「明日、頼んだわよ……頑張って」
「ありがとうございます、お嬢様」
セレムだと分かったときの男たちの驚きようと来たら、それは失礼なほど大げさだった。彼らは幽霊でも見たかのように、あれやこれやと遠慮なく評しあった。
その騒ぎを抜け出したギールとセレムは、人気のない庭の噴水の側にやってきた。ギールはセレムの肩にマントをかけてやり、そのまま縁石に腰を下ろすよう言った。セレムは安堵のため息をついて、とんがったヒールを脱いだ。
「あー、きっつー！ 女の人ってどうして、こんな歩きにくいヒール履くんだろ。ありがと、助かったよ、ギール。あのまま会場にいたら、絶対すっ転んでた」
「やっぱりね。ヨロヨロしてたんで、やばいと思ったんですよ」
ギールはセレムの指先でぷらぷらする華奢な靴を見つめた。
「みんな、びっくりしてましたよ……どちらのお姫様だ、なんて言って」
「それって、あたしが普段お姫様に見えてないってコトじゃん。ムカツク！」
「でも、今夜は、そのう……何て言うか……本当に……」
うまく言えない。
コポコポと流れる噴水の音は、まるで小川のほとりに立っているようだった。歌や手回しオルガンの音色が遠くから聞こえてくる。
ギールはえへん、と咳払いした。
「あ、あのう……お館さまから聞いたと思うんですけど」
「とんでもない悪党ね、あんたってやっぱり」
セレムはそっぽをむいたまま答えた。
「いや、そのう……あのときのことは、本当に悪かったと思ってる……」
「あのときって、どれ？」
声の調子が少し刺々しくなる。
「いっぱいあり過ぎて分かんない」
「……」
セレムはまた、ため息をついた。
「なにそれ。調子狂うなあ。明日の試合のことだって……第一、どうして試合なんかする気になったの。竜のお宝が欲しいの？ それとも出世のため？ 都の守備隊に入りたがる貴族のドラ息子なんてねえ、掃いて捨てるほどいるんだから。いくらおじいさまが推薦してくれたってねえ、あんたなんか、後ろ盾も何にもないままじゃあ、いつまでたっても下っ端のままなんだから。フォーニアの村じゃ腕自慢でいられても、外に出たらねえ……」
「そんなつもりじゃねえよ」
ギールは呟くように言った。
「じゃあ何」
自分でもよく分からなかった。
「とにかく、良くしてもらってる。盗賊上がりだと分かってて、従卒に雇ってくれた。そんなこと、やめろって言ってくれた……これ以上望むのは、俺には、もったいないことだ」
「もったいない、ですって？」
セレムは鼻先で笑った。
「あんたらしくもない。あんた、あたしをぎゅーぎゅーに踏んづけたのよ？ どうしてそんなにコロコロ変われるの。それをあたしが信じるとでも思ってんの」
「お館さまがお困りだったんだ」
ギールは仕方なく嘘をついた。本当の思いは決して声に出されることなく、心の奥にくすぶっている。……なぜ、あのときだけ、あんなに簡単に、好きだなどと言えたのだろう。
「従騎士の話はありがたく承るさ。俺だって今の暮らしが気に入ってる。今更、盗っ人稼業には戻れねえ。お前には悪いことしたけどさ。何ていうか、あの、その、チャンスをくれたって事じゃあ、ああいうことも、してよかったかな、と。いや、もう、二度と、絶対やらねえけどよ」
セレムはマントの暖かみに頬を寄せた。
「あんた、本当に……もう、絶対、あんなこと、しないって誓える？」
ギールは凄い勢いで振り向いた。
「もちろん」
「証明できる？」
突然、額がずきりと痛んだ。ギールは呻いて、眉間を押さえた。胸が変なふうに高鳴った。
「証明って……どうやれば信じてくれるんだ」
「自分の態度で示せば？」
セレムはあっさりと言った。
「自分はもう、昔の自分じゃないって、もう、悪いことなんてしないって、あたしにも分かるように。簡単でしょ」
「そうか。そうだな」
ギールは苦笑いした。本来なら拍子抜けするほど、簡単なことのはずだった。
こんな、十近くも年の離れた小娘、それも相当はすっぱな山猿を相手に何をうろたえているのだろう。はっきり態度に表せばすむことを、本気になればなるほど、表に出せなくなっている。
また胸がしめつけられた。何かを忘れているような気がする。何か、とてつもなく、大きな事。思い出せない……思い出したくない、訳の分からない焦燥感。
言えないのは、この気持ちのせいだ。
セレムは裸足でぴょん、と石畳に飛び降りた。
「騎馬試合なんかであたしの人生決めようってのがおかしいのよ。あんな奴、ケッチョンケッチョンにぶちのめしてやって。本当ならあたしが直接、あのいちごマシュマロをやっつけてやるんだけど、それやるとチョビヒゲのオカマ親父にあることないこと言いふらされそうだしね。あいつはずえったい、オトコに決まってるワ！ とか」
セレムは剣を振り回す真似をし、ギールに微笑みかけた。
「あたしの人生の一部、不本意とはいえ任せるんだから、負けたりしたら絶対に許さないよ」
「もしさ」
ギールは突然、自分でも意識しないうちに口を滑らせた。
「明日、試合で勝ったら……」
「何？」
キスさせてくれ、などと言おうものなら、またぶん殴られるかもしれない、と思い直す。
「……あとで言うよ、やっぱり」
「何よー！ そーゆー持って回った言い方嫌いだって知ってるでしょー？」
セレムはだだっ子のように足を踏みならした。
「合理主義者なの、あたしは！」
「分かったよ」
ギールはセレムの手を取った。
深窓の令嬢というよりは、剣を握りなれた、強い女の手だった。もしかしたら自分を必要としないかも知れない女の手。
ギールは唇を押し当てた。
「もし、騎士になれたら、俺の剣、お前に捧げてもいいか？」
セレムは朗らかに笑った。
「ばーか。騎士の剣は貴婦人に捧げるものよ。あたしになんか捧げたら笑われるわ」
「……」
分かってもらえると期待する方が悪い。セレムはあくまでも疎かった。
「まあ、あたしがおかあさまみたいなレディになれたら、考えたげてもいいかな。それにしても、騎士ねえ……あたしね、ヴァンシアン・ナイツに入るのが夢なんだ。女だから入れないって分かってるけどネ。ラトゥースさまだって、あんなにご苦労なさってんだから、あたしも何かやんなきゃ。殿様のお疑いが晴れるまで、みんなでがんばらなきゃね」
「疑い？」
「何、知らないの？ やっぱあんた余所者ね」
セレムはむっとした口調で咎めた。
「いま、エルシリアがどんなに大変か、分かってないんでしょ」
触れれば破れそうな浮腫。ギールは胸の痛みから気をそらした。
「さあ……？」
「もう！」
セレムはあきれ果てている。
「もう、戻ろ。みんな探してんじゃない？ 今夜の主賓はあんたなんだから」
セレムは裸足のまま、歩き出した。