「み……み……」
ひよりは、顔を熟れたトマトみたいにくしゃくしゃにした。
見たい！
でも、見てはいけない！
でも、やっぱり見たい……！
ひよりは眼を閉じた。
実際に見なくても、たとえば、ちょっと想像してみるぐらいなら構わないだろう。
頭の中が、熱を帯びた蒸気に取り巻かれてゆくような気がした。
姫乃ちゃんは、きっと……めちゃくちゃ清楚で……お湯にはいるときも恥じらったりして……
こう……
恥ずかしいところをタオルで隠して……
ちょん、って、つまさきから……お湯に入ろうとして、きゃ、熱い、とか言ったりして……
で、獄文字乙女先生のほうは……大胆でセクシーで迫力満点のむっちり魅惑のボディを、こう、惜しげもなく……ぶるりんって感じで……
真っ白な肌……
ゆらめく温泉の湯気……
純白のタオルが……
はらっ、て。
ぶっっぱぁぁぁぁぁぁぁ……ん！（鼻血の音）
とかなんとか思っていると、もう声も出ない。
息が上気してゆく。心拍数が跳ね上がった。
もたれた部室のドアが、ふるえるひよりの動揺を写し取ったかのように、かたかたと鳴っていた。
「鼻血出てるぞ」
「気のせいです」
「いいからティッシュ詰めとけ。友達の忠告は聞くものだ、で、見んのか、見ねえのか？」
一磨は、にや、とあくどく笑った。
「……答えろよ？」
「見……み……」
「ああん？ 声が小せぇぞ？ 何が見たいって？」
「姫乃……ちゃんの……動画が……」
「付くもん付いてんのかテメエ！ もっと腹の底から声を出せーーッ！」
「み、み、……見せてくだ……」
「ダメだダメだダメだッ！ 男ならもっと男らしく！ はっきりと！ 口に出して断言しやがれ！」
「ああっ……！ 言えない！ やっぱり言えない！」
「自分に正直になれ！ テメエならできるッ！ いったい、何の動画が見たいんだッ！！」
狭い部室を恥ずかしい怒号が飛び交っている。
鬱屈していた心が、次第に声をを大きく出してゆくうちに解放されてゆくような気がした。
「言え、言ってしまえ！」
「ああんっ……でもっ……！」
「本当のお前を、さらけ出せーーーッ！」
ひよりは、顔を真っ赤にして目をつむった。
本当の、気持ち。
本当の、自分。
自分の思いを口にすること。
そう、今、望んでいること。
それは――！
「姫乃ちゃんの！ えっちな！ むふふ動画が！！ 心の底から見たいです！！」
「だったら俺の命令を聞けぇーーい！」
「うああぁぁんっ！ 悪魔の契約だあっ……！」
ひよりは完全に気圧され、打ちのめされて、床にずるずると崩れ落ちた。
騙された……完全に、引っかかった……
まさに泥沼。こうやって人はつい乗せられてデパートで訳の分からない実演販売の商品を買ってしまうのか……
涙に濡れ、上気しきったまなざしで一磨を睨む。
「ひどいですよ、石川くん」
意気消沈して弱々しくあえぎ、うなだれる。
「普通……そこまで純真な少年の心をもてあそびますか……？」
「いや、見直したぞ。まさかお前がここまではっきりエロ魂を暴露してくれるとは思ってもみなかった」
「好きで暴露したわけじゃ」
「いーや、約束は約束だ。俺たちもう親友だよなぁ、はあん！？」
もはや脅迫である。ぎらぎらと悪魔めいた光を宿す笑いがみるみる迫ってくる。
「ひいいっ！ は、はい……親友です……！」
と、さんざんに焦らされてすっかり打ちのめされたひよりは、ついに半泣きでめそめそと涙をぬぐった。
「分かりました。分かりましたから、お宝ＤＶＤを見せてください」
「うん。分かれば良いのだ」
一磨はころんっと態度を変え、にこにこと愛想良くひよりの手を引っ張って部室の真ん中へと連れ戻した。先ほどまでの悪逆非道な表情はどこへやら。
「ほら、そんなとこでしゃちほこばってないでこっち来いよ。一緒に見ようぜ。何せ秘蔵だからなあ、他の奴に見せるのは初めてなんだ」
「え、そうなんですか」
「うおお新入部員をお招きして初の蔵出し秘蔵映像の上映会をするというのに何という恥ずかしい部室だ！ 待ていま掃除するからなっ！ お茶とクッキーもあるぞ？」
「い、いえ、お気遣いなく」
一磨はものすごい勢いでゴミを部屋の隅へと押しやり、一瞬でぴかぴかに掃除して磨き上げたかと思うと、にっこり破顔した。ちょいちょいとひよりを手招く。
「いいからこっちに来て座れ。ほら、ひより、早く見ようぜ」
「はい、その、あのう、お邪魔します」
ひよりは、恥ずかしさに頬をあからめながらも、もじもじとパソコンディスプレイの前に座った。
「よし。これで手打ちだ。仲直りだぞ、ひより」
一磨はうわずった口調でひよりの肩を叩いた。さっそくいそいそとケースから謎のＤＶＤを取り出しながら、先ほどまでの息詰まった様子とはまるで違う、びっくりするほど気さくな饒舌で中身のいわくを鼻高々に語り始める。
「これだけ撮りためるのに何ヶ月かかったことか！ 持てる精力すべてを注ぎ込んで撮影しまくったからなあ。そのなかでも選りすぐりのスクープ映像、ハプニング映像、ちらりにぽろりにむふふの宝庫！ 秘術の限りを尽くしてようやく完成したというのに、画竜点睛を欠くというかだな、足りないんだよ、アレが」
「？」
なにやら聞き捨てならない単語が混じっていたような気がしたがそれはすぐにひよりの脳裏から押し流されて消えていった。
「では、再生だ」
電光の如く、ＤＶＤがパソコンに呑み込まれる。
ごくり。
ごくり。
ディスプレイに光が入った。馬鹿二人が本気の形相で固唾を呑み、頭を突き合わせて、じっとＰＣ画面に見入っている。
和風ホラーを思わせるイメージ映像が、テロップの背後に流れ始める。
鬼辻坂百怪 巻ノ一――
ひとつ、墓地より化生し、夜ごとさまよい、血を啜る、鬼。
ひとつ、死装束をまとい、赤子をくびり食らう、産女。
ひとつ、やせ細った手足と裏腹に腹ばかりがぶくりとふくれた、ぎらつく眼の餓鬼。
さながら黴のごとく、雲霞のごとく。空を死相に染めて飛び交う無数の破れ鴉が。破れ、打ち棄てられて転がる手鞠の無惨な紅色が。隠微極まりない死屍累々の三悪道が。
この世のものとも思えぬ大胆な色づかいでまざまざと描き出されてゆく。奔り飛ばした朱さえ目を覆う凄惨さであった。
「何かマジで異様に怖いんですけど」
「誰がきゅぴーんな小学生ランドセル動画集を見せると言った」
「言ってません」
「言っておくが俺の守備範囲は十六から上限無しだ。つまり年上以外は興味ない。ロリなど論外。外道の鬼だ」
「何もこんなところでそんな恥ずかしい性癖を暴露しなくても」
「おい、気まずそうに目をそらすな」
ひそめた一磨の片方の眉が、ぴくりと上に持ち上がった。
「ここは心霊写真部だと言ったろうが。木の葉を隠すなら森の中。これぞホンモノの、映ってはならないものが映ってしまった”心霊映像集”……」
昂揚した表情でつぶやく。
「鬼辻坂学園に潜む闇、獄文字姉妹・極秘調査レポートだ」
「……おお……！」
出演、獄文字乙女。獄文字姫乃。
製作、石川カズマ。
獄文字姉妹・極秘調査レポート――百鬼夜行ぬらぬら地獄 濡れ濡れどっきん水着でパニック――！！
「これは、まさしく……盗撮じゃないですか……！」
半ば放心状態でひよりは驚嘆の呻きをもらした。
「こんなものどうやって」
一磨は拳をぐぐうっと握りしめ、歯と歯の間からうなり声を押し出した。
「すべてはリビドーだ！ 乙女ちゃんに殴られ！ 足蹴にされ！ 奴隷にされ！ あのピンヒールでこきまくられ！ それでも必死に密着取材しまくって極秘心霊映像の撮影に成功したのだ！ 我が機甲忍術の限りを尽くして！」
「ああっどうしてこんなになるまで自分を放っておいたんですか！ 何ですこのアングル！ えげつないったら！」
「何を言う。こんなのはな、まだまだ序の口、なんだよ」
一磨はクククッと喉を鳴らしてほくそ笑んだ。
「この後はお待ちかね、獄文字姫乃の……あのシーンだ」
「！」
悪辣に肩を震わせて笑っている。
「一度見たらもう、戻れねえかもなあ？ そういう眼でしか……あいつを見られなくなる。それでもいいのか……？」
ひよりは、ぐっと息を呑んだ。
そこまで言うからにはよほどの映像が捕らえられているのだろう。もしかして、姫乃があんなポーズや……こんなポーズまでを取らされて……
（ああ……堪忍してくださいませ……姫乃は、こんな恥ずかしい恰好……いやでございます……！）
「とか何とか言わされていたりしたらもう！ ……って、僕は何を想像しているのだッ！！ ああッ、悪い妄想よ出て行けっ！ 違う、違う、姫乃ちゃんはこんなこと言わないっ……！！」
「頭に血を上らせるな。少し落ち着け」
「これが落ち着いていられますかあっ！」
ぼかすか自分の頭を殴りながら、必死にかぶりを振る。
「そんな汚らわしい、姫乃ちゃんを傷つけるような妄想なんかできるわけないですっ！ これは裏切りです。姫乃ちゃんや先生に対する裏切りっ！」
「食い入るように見てるくせによく言う」
「そもそも盗撮は犯罪行為ではないか！？ いくら獄文字先生の画像すべてがばっちりカメラ目線だったからと言っても盗撮は盗撮。もし姫乃ちゃんが盗み撮りされていることに気づかずにいたとしたら。それを黙って見た僕はどうなるんですか！？」
「同罪だろ決まってんじゃん」
「最低じゃないですかーーーっ！」
「床下を這い回る人生も案外悪くねえもんだぜ」
「そんな最低な人生は嫌です！」
「素行調査は忍者のライフワークだ」
「何言ってるんです、いけないに決まってるじゃないですかっ！ のぞき見ですよ？ 盗撮ですよ？ そんなことをする奴が何て呼ばれるか知ってます！？」
「だんだんうざくなってきたなコイツ……」
「最低ですよ！ サイテイっ！」
「ぶっ殺すぞテメエ」
「僕はそんな最低な奴になりたくてここに来たんですか！？ 答えはＮＯです！ ＮＯ！ ＮＯ！ 絶対になりたくない！ なりたいはずがなーーい！」
「で、要するに続き見るのか見ないのかどっちなんだ」
「……み、み、見るわけが……！」
ひよりはそこでがっくりと肩を落とし、うなだれた。
「うっ……」
「どっちだ」
「……うううう！」
「三秒以内に返事しないと電源引っこ抜く」
「やっぱ見たいです」
「即答じゃねえかよ。てめえ、男として最低だな」
「ううっ……最低な男ですみません……」
ひよりはよよと泣き崩れた。
「でも……見たいんだもん……っ」
「だが、嫌いじゃないぜ」
一磨はにやりと笑って、グッ、と親指を押し立てた。
「いいんだ、男ならてめえの欲望に素直になれよ」
憐憫のまなざしをくれつつ、一磨はひよりの頭を撫でた。
「一線を越えちまえば……もう怖くねえから……よ？」
「う、うん……」
ひよりは頬を赤く染め、眼を閉じた。
「一磨くん……僕に、教えてくれますか……秘密の花園への行き方を」
手に手を取り合って、互いにひたと見つめ合う。
きらきらと罪の星くずがきらめいていた。
「ああ、来いよ……ファインダーの向こうで、可愛い天使ちゃんたちが待ってくれてんぜ？ みだらで……セキララな……”俺たちの”あまずっぱい青春天使ちゃんたちが、よう？」
「うん、僕、見るよ！ 姫乃ちゃんの秘蔵映像！」
息を詰め、すべてを一磨にゆだねて。
「では、続きを」
ごくり、と喉が鳴る。
ぶるぶると大人気なく震える手で、一磨はストップさせていた映像を再生し始めた。
謎めいた光が燦然と放たれる。あまりのまぶしさ、神々しさ触れがたさ、さらには禍々しさすら滲み匂わせる映像を前にして。
とっさにひよりは眼をそらしそうになった。一瞬目に入った、ふるふると白くはじける肌の色の、あまりのあまずっぱい聖（性）天使ちゃんっぷりに正視すらできない。
「ま、まぶしい……！」
その、背後に。
音もなく、一つの影が忍び寄った。闇に光る深紅の双眼が揺らめき立つ。
「あら、まあ、たいへん」
「うひょお……！」
一磨が、青少年にあるまじき情けない歓声をもらした。呻きとも笑いともつかない恍惚のつぶやき。完全に我を忘れ、うわずっている。
「すっげえ……やっぱこれマジやべえッ！」
「え、え、っ、これが姫乃ちゃん……？」
「いやですわ。姫乃の、そんな恥ずかしい姿なんて、もう見ないでやってくださいませ。未来のだんなさまに、顔向けがなりませんわ」
「そ、そんなことないよ、すっごく……綺麗だ……天使みたいだ……！」
「あら、うれしいわ。ところでこれはいつどこでどうやって撮りましたの、一磨さま？」
「え？」
……。
いつの間にか、隣にちょこん、と。
優等生の眼鏡を掛けた姫乃が、手に獄の一文字が入った湯飲みを持って、柔和に微笑んでいる。
「お答えくださいませんこと？」
可愛らしく小首をかしげる。まるで暖かな早春の日差しにつぼみがほころぶように、桜色の唇が甘ったるい笑みにゆるんだ。
「うふ、ごきげんよう。部員のみなさま」
きらり、と――眼鏡が白く光る。
「ぐはわあっ姫、じゃなくて部長っ！」
一磨が椅子から一メートルぐらい後ろに転げ落ちる。
「姫乃ちゃんっ……！」
ひよりは、その場で硬直した。
「あら、まあ。これは何ですこと？」
三つ編み姿の姫乃は、ことりと音をさせて湯飲みを置いた。口元に添えた手には赤い糸がふんわりと巻かれている。
昆布茶のあまい香りが漂った。
「うーんと……？」
素知らぬ顔で、テーブルの上に置かれたままになっていたお宝秘蔵ＤＶＤのケースを、まじまじと見つめている。
「困りましたわ。この活動報告資料、何て書いてあるのかしら。眼鏡が湯気で曇って……よく見えませんわ」
姫乃はケースを手に取った。
ためつすがめつ、いろいろな角度から透かし見ている。
「ひいっ！？」
ひよりは真っ赤になって、ぶるぶるとかぶりを振った。その傍らでは、ディスプレイに映し出された手ぶれの激しい映像が、あんっ、いやあんっ、きゃっ……、などと、嬉し恥ずかし可愛らしい声をあげている。
「とうっ！」
その隙に、壁際へと決死のダイブを決めた一磨が、力任せにＡＣアダプタをコンセントから引っこ抜いた。ぶち、と音がしてパソコンの画面が落ちる。
ひよりは心の底から一磨の勇気ととっさの判断能力、そして抜群の行動力に内心の拍手喝采を送った。ミッションインポッシブル証拠隠滅完了――
ほっ、と一安心したのも――束の間。
「ひより様、これ、読み上げてくださらない？」
曇り眼鏡の姫乃は、じー、と。鼻の先をパッケージにくっつけんばかりにして顔をＤＶＤへ近づけている。
「うーんと、何かしら。やっぱり湯気で読めませんわ。姉妹で、どっきり？ 水着で……ぬれぬれ？」
たどたどしく文字を指先でたどりながら、小首をかしげる。
「うわあっ！」
「あひいいっ見ちゃダメですっ！」
「真顔で読み上げないでっ！！」
「心が、心が痛いっ！」
「何て羞恥プレイ……ああ！」
頭を隠し、胸を押さえてごろごろ七転八倒する。
「うふふ」
そんな悶絶の様子を見て、姫乃はしとやかに口元を隠して笑った。
「ああ、お茶が美味しゅうございますこと」
「……鬼だ、この女、やっぱり鬼だ……！」
「あら、一磨さま、何か？」
「いえ、何でもございませんっ！」
姫乃は、ふっと微笑んだ。
ようやく落ち着いたのか、一磨は冷や汗をハンカチで拭きながらたずねた。
「……とっところで部長、このようなむさ苦しいところへ何のご用で」
「乙女ねえ様がお呼びですわ」
カバンからスマートフォンを取り出して姫乃は言った。ぼんやり光るメニュー画面が表示されたところで、横に傾けて振る。
「百鬼夜行がまた」
画面の中にあった鬼火がテーブルにこぼれて落ちた。鬼火はしぼんだ音を立てて消える。見つめる姫乃の眼は、心なしか薄赤く光っていた。
「現れましてよ」
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