襟首を掴まれ、教室から強引に引きずり出される。連れて行かれた先は学食だった。
「何ボケッとしてんだ。さっさと選べよ」
「……な、何……」
「ああん！？ てめえ、見えてねえのかよ！？」
少年はいきなり肩を怒らせて凄んだ。
「さっさと見ろや！ 本日のＡランチ、カツカレーうどん！」
「ひっ……！」
「本日のＢランチ、カツカレー定食！」
「ひ……えっ？」
よくよく聞いてみればごく普通のことしかしゃべっていない気がする。
ひよりはおどおどと少年を上目遣いで見上げた。も、もしかしたら……学食に案内してくれた……とか？
少年はあごでメニューをしゃくり示した。
「オラ早く並べよ！ 後ろの皆さんがつっかえちまうだろうが！」
「ご、ごめんなさ……」
「チンタラしてんじゃねえ！」
「ひいっ……！」
首をちぢこめながらトレイを持って列に並ぶ。少年に教えられたとおり、学生証を食券販売機にタッチさせてからＢランチボタンを押す。
テーブルに着くと、なぜか四人分の食事が並べられていた。
「……あれ、他にも誰か……？」
「俺が喰うんだよ文句あっか」
きょろきょろしていると、少年は澄ました顔でカツカレー三皿を自分の手前に引き寄せた。
「御桜ひより、か。てめえ、女みたいな名前だな。さんざん期待させやがってがっかりだよ」
「……ごめん」
「うぜえ。いちいち謝ってんじゃねえ」
少年はあっという間にカツカレー三皿を平らげ、グラスの水を飲み干し、まだとろとろとご飯をつついているひよりのカレーにまでスプーンを突っ込んで食べ始めた。
「あっそれは僕のカレー……！」
「うっせえこの世は弱肉強食だ。何だよこっちのほうが美味いじゃねえかよおいコラてめえそのカツ寄こせ」
「ううっ……同じ学食のメニューじゃないですか……」
「何だよそのうじうじした眼は。棄てられた子犬ちゃんみたいな眼してんじゃねえよ、男ならてめえのメシぐらいてめえで守れ！」
「は、はい、すみません、ごめんなさい……」
「まったく、うっとーしい野郎だな。ヘナヘナしやがって。もういい」
少年は憎々しげに言い放つと、席を立った。
ひよりはひどく落ち込んで、すっかり食欲もなくして座り込んでいた。食べかけのカレーも目に入らない。
「何だよ、まだ食い終わってねえのかよ。遅っせーな」
どきりとして顔を上げると、さっきの少年が、今度はカツカレーうどんを二杯両手にたぷんたぷん言わせながら持っていた。
「お前もこれぐらい食え」
乱暴な口調で言いながら、ひよりの目の前に、どん、とどんぶりを置く。
親指が突っ込まれている。
「ぼ、僕は」
「俺が食え、つってんだが？」
少年は親指についたカレーを舐めながら凄い目つきで脅した。
「まったく、めそめそすんじゃねえよ」
少年は再び席に着いた。
ぱき、と口に割り箸をくわえて二つに割る。
ずびびび。一息でカレーうどんの半分をすすり込んだ。
「は、早ッ！」
もちろん周囲はすごい飛び散りようである。
「っていうか汁でびちょびちょ！」
「男が細かいこと気にすんじゃ……うわっ制服がカレーまみれ！ ぎゃー！ しまった！」
「めっちゃ気にしてるじゃないですか」
「やっべ落ちない！ でも食う！」
ずびびび。二口で完食。
ものすごい大食漢っぷりにひよりが絶句していると、少年は顔中カレーまみれにしつつ、再びひよりのカレーにスプーンを突っ込んだ。
「あっまた！」
「てめえが食うの遅いから手伝ってやるんだよ」
「こ、これは僕のです」
ひよりはカレーが残った皿を手元に引き寄せ、がつがつと急いで残り全部を口にかき込んだ。勢いを駆って奢ってもらったカレーうどんも一気に食べ終える。
「ごちそうさま！」
さすがにたらふく食うと、腹に力が溜まったような気がした。
「お前、学生寮だよな。六階に新しく入った奴」
「は、はい、そうです。よろしくお願いします……ええと」
満腹感がいつもと違う勇気をくれる。ひよりは改めて少年の名札を確かめた。
「石川、くん？」
「５０１の石川一磨だ」
「ん？」
記憶の底が揺り動かされる。その名前、どこかで聞いたような……？ 気のせいだろうか……？
「獄文字姫乃の隣だよな」
「はい」
「じゃあ、話は早え」
石川は性悪に笑った。
「こいつを見てもらおうか」
どこに隠し持っていたのか、いつの間にかデジカメを手にしている。スイッチを入れた。ムービーが再生される。
砂嵐めいたノイズが入った映像。どうやらスクールバスの中から望遠で撮ったらしい。同じ制服を着た生徒たちが思い思いの方向を見ている。薄暗い画面の内側で、灰色の女生徒がカメラに対し真正面を向いていた。視線が追いかけてくる。うつろな表情。
唐突にクラクションが響き渡った。カメラの向きが瞬時に変わって窓の外を映し出す。
窓越しに撮られた映像は吐き気がするほど上下左右に揺れ動いていた。ぐらぐらと揺れる。ノイズ。エンジン音。
一瞬、漆黒の球体が映った。
甲高いブレーキ音。
とたんに薄暗く翳った少女の顔がアップで重なった。本気で心霊写真のたぐいかと思って、ひよりは息が止まりそうになった。偶然、誰かの顔が窓ガラスに反射したところをとらえたのだろうが、それにしても心臓に悪い。
映像はさらにつづく。
軽自動車がまるでオモチャのように横転してゆくのが見えた。運転している女の横顔がはっきりと見て取れる。
「こういう映像が手に入ったんだけどよ」
石川の指が、一時停止のボタンを押した。色鮮やかなノイズを残した映像が、止まる。
軽い吐き気を催す。ひよりは言葉少なに石川を見やった。
「ここに映ってるの、何だか分かるか」
画面を指さす。後部座席はぼんやりと白い。
あのときすれ違ったスクールバスの中から撮られた映像だ。間違いない。
「……あんまりはっきりしない映像ですね」
「拡大してやろうか」
「何が言いたいんです」
否定する理由はない。
百鬼夜行――
あの、訳の分からない真っ黒な球体のことを、獄文字乙女も姫乃も、百鬼夜行、と呼んでいた。
なのに、いつの間にか気を失ってしまって。
その後のことは、何も覚えていない。
ずっと、夢の中の出来事だとばかり思っていた。あるいは無理にでも思い込もうとしていた。
だが、どうやらそれは無駄な努力だったらしい。
確かに、他の誰かの眼からしたら安っぽい特撮か合成映像にしか見えないだろう。
しかし、軽自動車の後部座席に充満している、”白い煙”を、運転している獄文字乙女の横顔を。
石川のカメラは正確に捉えている。
「と、いうわけだ」
肩を叩かれ、顔を上げる。
悪魔のような笑みと視線がぶつかった。
「放課後、話がある。必ず来い。いいか、逃げんじゃねえぞ」
デジカメの電源が切られる。
「逃げたら――先生と獄文字姫乃がどうなるか、分かってるよな」
背中に嫌な寒気がよじれた。液晶画面は濁った黒に変わった。
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