数日後。放課後。心霊写真部の部室にて。
「俺……終わったかも」
一磨は、最悪の顔をしていた。どんより、とか、がっくり、とかいうレベルの顔色の悪さではない。
「どうしたんですか」
ひよりは心配そうに顔をのぞき込んだ。心霊写真部に入部した覚えはないのだが、なぜか当たり前のように活動を強制されている気がする。
「朝からずっとその調子じゃないですか。おなか痛いんですか？ それとも実力テストが悪かったとか？」
「……ないんだよ……」
一磨は机に突っ伏したまま、情けない声で言った。
「ないって何が？」
「アレだよ、アレ」
一磨は、がば、と上半身を起こすと、ひよりの耳をぎゅーっとつねるように引っ張りながら耳元で怒鳴った。
「え、あれってもしかして……」
「そう、ないの……ひよと一晩を過ごしたあの夜からずっと月のものが……って違うわボケが！ そこまで俺は変態じゃねえ！ ないのは俺の夜の営みのほうだッ！」
「いちいち耳元であられもないことを怒鳴らないでください」
「うッせえお高くとまってんじゃねー！ 俺の命よりも大事なアレが！ ないんだよ！ 乙女ちゃんを激写しまくったはずのカメラが！ どんなに探してもねえんだ。たしか崖から落ちる前まではしっかり手に持ってたはずなのによ、ねえんだよ、どこにも、あああ！」
「あっ」
ひよりは、はたと膝を打った。
「ああ、あれか」
「おいコラバカひよ！ てめえ、身に覚えがあるのか！？」
「あ、う、いや、そのう……」
いきなり胸ぐらを掴まれて、もじもじと目を泳がせる。やばい。確か、あのカメラは……。
「い、いや、その、でもあんまり見つからない方がいいかなあって……」
「返せ俺のカメラ！ 乙女ちゃんのおっぱいぼいん！ ちくびぷりん！ 谷間にずっぎゅん！ な写真が死ぬほど詰まってた俺の夜のスイートスポットエンジェルちゃん！」
「そ、それがその、途中まで、僕が預かってたんですけど……ほ、ほら、光月のせいで……ど、どこにいっちゃったんだろう？ 的な……そのう……」
「取ってこい！」
「ええーーーっ！！？」
「てめえ、もう一回死んで異界に行け！」
「そんなの無理に決まってるじゃないですかっ！」
「うるせえッてめえ、命より大事なカメラを無くしておいて！」
一磨は、血の涙を流しながら床を叩き号泣した。
「あの秘伝秘所秘蔵の激ヤバデータの数々をなくしてしまってから、夜ごと荒ぶる俺のゾウさんがしょんぼり萎え萎えでどうしようもねえんだよ！ じっくり……たっぷり……ねっぷり……どっぷり……なあれがなかったら！ 俺はもう一生ハイハイでたっちできねえんだよ！ ゾウさんもキリンさんも余儀なく撤退だよ！」
「……それなら、こちらにありますわ」
ふわっ、と。
微笑みの香りが通り過ぎる。
「乙女ねえ様が持ち帰ってくださってましたの。お渡しするのが遅くなって申し訳ありませんでした」
「うおっ！？」
一磨はのけぞり、椅子から転げ落ちた。
「姫！」
「姫乃ちゃん！」
突然現れた姫乃にひよりは眼をみはった。あわてて立ち上がり、座っていた椅子をゆずって姫乃に座らせる。
「今日もまだ休むって言ってなかった？」
ひよりが引いた椅子をふっと嬉しそうに見つめ、会釈しながら姫乃は腰を下ろす。
「お気遣いありがとうございます、ひより様。昼からは少し気分がよくなりましたので、ねえ様にお願いして、保健室で」
ひよりは姫乃の顔をのぞき込んだ。
「大丈夫？ 無理してない？」
見たところ、表情はいつも通りだ。たおやかで、にこにことしていて。
「大丈夫ですわ、もう、すっかり。ね、乙女ねえ様？」
姫乃の視線が部室の戸へと向かった。
「ああ」
声が応じる。養護教諭の白衣をひっかけた獄文字乙女が部室に入ってきた。
「姫乃が、どうしても学校へ行きたいとだだをこねるのでな」
それでもまだ心配は尽きない。ひよりはもう一度、姫乃の眼を見つめた。
「本当に大丈夫？ 熱はもうないの？」
「はい」
姫乃はかすかに目尻までをほんのり桃色に染めて、こくん、とうなずいた。
「ひより様の……おそばに、ずっと……」
「えっ」
「いえ、何でもございませんわ」
姫乃は素知らぬ顔でかぶりを振った。さらりと黒髪が揺れる。
くすっと笑う。
「そうそう、これをお届けしなくては。一磨さま、どうぞ、お受け取りになって」
カバンからクリアファイルを取り出す。その中に忍ばせていたプラスチックのケースを、一磨の前へと置いた。
「これは」
一磨の顔が、ぎくりと引きつる。
「まさか、そのう……？」
「カメラは、残念ながら壊れてしまっていたそうなのでメモリーカードだけ取り出してみましたの。さいわい、中のデータは無事でしたわ」
姫乃はにっこりと笑った。
「印刷もできましてよ。これが、その……」
「わああーーーーーーーーっ！？」
ぷかあ、と。
ぱんついっちょで泥沼に浮かぶ一磨の写真が、模造紙いっぱい、ほぼ等身大の大きさで。
ばーん！ と。
「ちょっ、姫、これ、いつ誰が撮っ……こらあっひより、てめえかーーーーッ！！」
一磨が鬼の形相でひよりに詰め寄る。
「うわああっ、違いますって僕じゃありませんっ！ ちょっ、ちょっと、一磨くん、落ち着いてーーーーーっ！！！」
胸ぐらを掴んで振り回されながら、ひよりは半泣きで笑い、逃げまどった。追い回され、ほっぺたをつままれ、怒鳴りつけられる。
「うっせェ！ てめえ以外の誰が撮るってんだッ！ ええい、そこになおれ！ 成敗してくれる！」
「まあ、仲がおよろしいこと」
「悪い男だな、ひよりは。女だけでなく、男にまで手を出すのか」
姫乃は、手を口元に添えてくすくす笑っている。乙女先生も他人事とばかりに肩をすくめ、苦笑いするばかりだ。
「違う違う、マジ違うってば！ 誤解です！ うわあんっ獄文字先生、笑ってないで助け……」
「逃げるな！」
この学園に来るまでは。
こんなにぎやかな高校生活が送れる、だなどとカケラも想像していなかった。誰も振り向かない教室で、石のように灰色になって、無事に生きて卒業できればそれでいい、とさえ思っていた。
「うふ、見て見て乙女ねえ様、ねえ様のポスターも作りましたわ。これを保健室に貼ったらどうかと思うのですけれど」
一方の姫乃は、ポスターを前にきゃっきゃうふふしている。獄文字乙女は腕組みし、愛おしげに眼をほそめて姫乃を見つめている。まんざらでもなさそうだ。
「美しいな。さすがは俺だ」
でも、たった一日で、がらりと人生が変わった。今まで見たことも、聞いたこともない経験をし、今まで考えようとも思わなかったことを考え、心を揺り動かされて。
百八十度、変わった。
「ちょっ、姫乃ちゃん、助けてったら……うわあっ、ぎゃーーーーー……一磨くんプロレス技は禁止っ……骨折れる、骨っ……うぇぇ……痛い痛い妖怪吐いちゃう……！」
光月の声が聞こえたような気がした。
眼を開けて、顔を上げて、周りを見ろ。
そうすれば、きっと聞こえるはずだ。助けに来た仲間の声が。
うずくまっていないで。立ち上がれ。立ち向かえ。
そうすれば、きっと前へ進めるはずだ。
新しい自分。新たなる未来へ。
「どうせ撮るならなぜ乙女ちゃんの黒ぱん姿を撮らなかった！」
「そんなもの見てません……あいたたた……！」
「嘘つけ！ そこにぱんつがあったら這いずってでも激写するのが男だろうがーーッ！」
「いや、ひよりの言うとおりだぞ。あのときはぱんつどころか全部脱げて、何も穿いていなかったからな」
「つまり」
「それは……？」
「下半身のみ丸裸」
「ぐがあぁぁっっっ！」
ブーーーーーーッ！ と、想像した一磨がぶっ倒れ、鼻血をスプリンクラー状にぴゅうぴゅうまき散らす。
「お、お、乙女ちゃんが……まるだし……！」
「いちいち女の裸に耐性のない奴だな。男のくせに情けない。ちっ、仕方ない。これから毎日、日替わりで俺の挑発的ヌードを見せつけてやる」
「お、御館様、そ、それはいくらなんでも……拷問過ぎます……！」
「では姫乃に命じよう。良いな、姫乃」
「……はい、ねえ様。喜んで」
ブーーーーーーッ！ と、今度はひよりのほうが鼻を押さえてぶっ倒れる。
「ああああそれだけはっっ！ だ、だっ、だめだよ姫乃ちゃんっ……！」
「いけませんの？」
「だ、だめに決まって……！」
「うれしいですわ、ひより様。もっと……いけない姫乃を叱ってやってくださいまし」
「えっ」
姫乃はたおやかに微笑み、口元に手を添えた。
からかうように小首をちょこん、と傾げて。
鼻血を押さえ、よろよろするひよりに、そっと寄り添って耳打ちする。
「ねえ様に命じられて、いけないことをしようとする姫乃に、優しい罰をお与えくださいませ。ひより様のお叱りでしたらわたくし、甘んじてすべて受け入れますわ。どうか、身も心も、ひより様だけのものに……なさってくださいまし」
「えっ」
一瞬、ぽかんとして姫乃を見やる。
それって。
もしかして。
「えっと……」
「よし、獄文字当主として許す。ひより……今夜、やれ」
「えーーーーーーーーーーーーッ！！」
ブピーーーーッ！ と今度は、両側の鼻穴から二股の鼻血を噴出させてひっくり返る。
「ふふっ……ひより様ったら。災難ですわね」
鼻血をだぼだぼ垂らしながらうわああん！ と逃げてゆくひよりを、姫乃は。
鈴を振るような、可憐な笑い声で見送ったのだった。
【おわり】
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